ヒトのレキシ

虚構を想像上の現実と信じることができるから、人間はこれほどまでに繁栄することができたと言われてる。


この文を見たときに最初は本当に意味不明であった。今目の前の現実を作為的な現実と見ることは不可能だと考えたからである。


しかし、今の自分がどのように出来上がったを考え、どんどん追求していくとむしろその通りではないかと考えるようになった。

今の自分は幼いことから様々な環境の中で多様な人々と出会い影響受けて自分なりの価値観というものが生まれてくる。そして、自分に影響を与えた人もまた異なる人から影響を受けている。これを踏まえるとヒトの相互作用の積み重ねによって今の自分があるということが分かる。

もっと広範に考えると、今当たり前にあるもの全てがそういった歴史の積み重ねの中で出来上がってきたと考えることができる。

では、その原点となるのは何かといえば自分以外の他者に影響を与えることができるということが必要である。そのためには言語といったコミュケーションの手段が必要であり、なぜその必要かあるかといえば集団で協力しなればならかったからである。

しかし、もともと集団というのは生物学的には150人くらいが限界であり、それぞれが縄張りを持っていた。なぜなら、環境に依拠した適応というものが必要であり、その範囲内で生活を営むことが普通だったからである。つまり、目の前の本当の意味で現実でしか物事を考えることができなかったのだ。

一方で人類の直属の祖先であるホモ・サピエンスは虚構を信じることができた。これにより、目の前の環境から離れた絶対的な「現実」を誰もが信じ、より大きな集団を形成することができた。



最初の話に戻る。虚構があるからこその人類であり、その歴史の積み重ねから今の自分が出来上がっていく。

日本なんて実在していないし、ヨーロッパだって、お金だって幸せだって名誉だって存在しない。でも、我々はそんなものが「ある」と信じている。


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