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大泣き、のち雨

泣いた。
大泣きした。
泣くだけじゃ足りなくて、叫んだ。

退院した日、息子を義実家に預かってもらっていた。帰宅中、彼は車の中で眠ってしまった為、私は彼の顔を見て、少し抱くだけで、起こさないようにした。つまり、彼は母親が家に帰ってきたことを知らなかった。

翌朝、ダイニングで朝食をとっていた時、彼が目覚めた気配がした。襖を少し開け、顔を出し、
「おはよう」
と、声をかけると、息子は驚いた子猫のように飛び上がって、ベッドから転がり落ちながら、走り寄ってきた。
「ママ、ママ!!!!」

息子は前日から鼻水と咳が出ていた。熱はなし。
周りの子に風邪を移したら大変。
大事をとって、保育園は休ませた。
私は、パルス直後だし、普段からステロイドも免疫抑制剤も服用している。
しかも、血漿交換直後で免疫なんてないに等しい。

私の罹っている免疫疾患や……特にME/CFSは、風邪をひいたが故に数年寝たきりになるなんて人もいる。ついうっかり、は許されない。コロナ禍でなくても、コロナ禍のような生活を送っていた。その為、息子とは出来る限り非対面、非接触を心掛けるしかなく、私は自室へ、息子は子供部屋へ、夫は仕事部屋へ行く。

このような事はしょっちゅうあるのだが、この日は子供部屋から
「ママーーーーー!!」
と、悲痛な叫び声が聞こえた。
正直、耳を疑った。
しかし、息子が私を求め、泣き叫んでいる。泣き止まない。そのように求められるのは、初めてであった。

息子は、夫に連れられて、一週間に一度面会に来てくれていた。
数メートル越しの面会。
彼は、面会のあとに踏切を見に行くのが楽しみでしょうがない為、いつもあっさり
「ママ、バイバーイ」
と、強引かつ勝手に別れを告げる。
ちょっとは淋しがれよ!と悲しくなるくらいに。

それがどうだ、淋しがるを超えた状態で大泣き。
時々、急にいなくなる母親が急に帰ってきた事で、彼自身が自覚していなかった寂しさに気づいてしまい、愛情を渇望しているのかもしれない。

息子の状態を見かねた義母が、その日再び息子を預かってくれた。
帰宅時はまたも爆睡状態。何とか難を逃れた。

翌日、つまり今日。(書いてるうちに昨日となってしまった)
息子が昼寝をしている間にこっそりダイニングへきて、昼食をとった。
食後に夫婦で珈琲を飲もうとしたところで、息子まさかの起床。
あ、オハヨウゴザイマス。
気配を消す私。

しかし、満面の笑みの息子。
「ママ!ママ!」
夫は私たちを引き剥がそうとしたが、仕事の時間となり、やむなく仕事部屋へ戻った。何しろ、息子が起きたのは夫の休憩が終わる数分前。
謀ったな、シャア!!

直様マスクを装着し、珈琲を諦めた私は、息子に別れを告げた。
「息子ちゃん、ママ、戻らないと」
すると、息子は曇りないきれいな瞳で私をじっと見つめ、迷いなく言った。
「ママ、ぎゅーして」

「息子ちゃん、ママとぎゅーしよ!ぎゅー!!大好き!!」
それは、毎日やっていたこと。
やると、彼はくすぐられた時のように爆笑していた。
それなのに、今このタイミングで、「ママ、ぎゅーして」だって?

非接触、わかってる。
でも、私の明日は、寧ろ今日すらわからない。
今、抱きしめなかったら……
しかし、感染して逆に彼の人生に陰を残してしまったら……。

葛藤した末、私は息子を思い切り抱き締めた。
お決まりのセリフも心の底から、口にした。
息子はいつものように爆笑をせず、自分の頬を私に擦り寄せ、おでこにおでこをごっつんこし、言った。

「もっと、ぎゅーして」
「もっと」
「ママ、行かないで」

息子の非常事態宣言である。

今は、今だけは、側にいなければ。
子供は強いというけれど、そんなことない。時と場合による。
母親としての本能なのか、息子がいつもと違うこと、そばにいなければならないことははっきりとわかった。

息子は、黙って私の膝の上に乗り
「だっこ」
という。膝に乗せた状態で、抱きしめながら、ゆらゆら。
重度障害者(体幹と下肢)の私にはなかなか無理な体勢だが、歯を食いしばる。
上肢は重度ではないが、やはり障害があり筋力がほとんどない。
息子を落とさないように必死だ。
息子は、すっかり私に身を任せている。

30分くらい頑張ったところ、漸く安心したのか息子は積み木で遊び始めた。
やばい、心臓の薬、飲まなきゃ。ME/CFSの薬も。
立ち去……れなかった。
息子は、すぐに私の膝に乗り、身動きを取らせないようにする。
その後も隙を窺って立ち去ろうとしたが、全て徒労に終わった。
夫の仕事が終わったのは18時近くで、彼はぐったりしている私を見て怒った。
何故、あなたはそこにいるのだと。

息子の感情の異変、愛情に飢えていること、何度も感染防止のために離れようとしたが、自分の力ではどうにもならなかったことを伝えたが、夫は苛々した様子で私を子供部屋から出させ、こう言った。

「これ以上、医療費がかかったらマジで生きていけないんだから。自覚あんの?気をつけろよ。どうしようもないんだよ、部屋に戻れ。諦めろ」

私は、今回、いや今まで生きてきて良かったのだろうか。
ただただ、夫に心の余裕を与えず、我が子に愛情を渇望させるだけの人間。家族に苦労だけを強い、金だけ食う人間。

今回の入院で何度も意識を失ったこと、記憶がないこと、失明しそうになったこと、アレルギーが多くて栄養剤が入れられず、経管で水だけ摂って過ごした日々。走馬灯のように頭を駆け巡っていく。私を引き剥がされた息子は、狂ったように泣いていた。

コロナ禍だったため、入院当初は念の為個室に入れられたが、病院事情でVIPルームだったため、ものすごくお金がかかった。病院事情なのにしっかり支払いもあった。
今月と来月暮らしていけるのか。
むしろこの先コロナ禍において、いつも通り緊急入院することになったら、一家は本当に路頭に迷ってしまう。
夫が言っていることは、実に正しい。

だが、あの時、息子を抱きしめ続けていなければ、息子はどこか歪んでしまったかもしれない。

だが、私が感染して、最悪の状況に陥ったら……
最悪の状況は、簡単に作れてしまうので恐ろしい。
今まで家族で努力してきたことが、全て終わる。

だが、
だが、

只管、同じ考えが、一定のリズムで巡り続ける。
涙が出そうになり、「もう、いいよ」と言って、自室に戻った。
息子は泣き叫んでいた。
私を呼んでいた。

行かないで、ママ。

私の小説「街の灯り」を読んでくださっている方ならば、細かな描写で気づくかもしれないが、私は親からの愛情を渇望したが、あまり得られなかった人間である。
息子はたくさんの愛を受けながら育っているが、もしも私という存在で私のように歪んでしまったら……。
そんな状況は絶対に作りたくない。
では、私はどうすれば良かった?
だがだがループがまた始まる。

心配した夫がすぐに追いかけてきたが、私は情けないことに泣き出してしまった。泣くだけじゃ足りなかった。
頭を掻きむしって叫んだ。
夫は言う。

「感情的に叫んで泣いてもしようがない。過去はやり直せない。以後はもう部屋から出ないことだ。我慢しろ。金がないのは本当なんだ、これから先のことをもっと真剣に考えろよ。」

息子の、「ママ、ぎゅーして」「ママ、行かないで」という言葉は、もしかしたら夫には響かなかったのかもしれない。私の杞憂なのかもしれない。
「もっと自分を大切にしろよ。自分を一番に考えろよ」
夫は言う。私は、叫んだ。
「夫と子供の方が自分より大切だよ」
「じゃあ、尚更気をつけてくれ。一家で路頭に迷う、まじで」

個室に入りたがったのは私ではない。
病院によっては、PCRなどの検査をすぐにして、結果が分かり次第大部屋へ移してくれるところもある。
コロナ禍の緊急入院で、お金を取らなかった病院も知っている。
病院の事情は様々だ。
病院からすれば、私の事情は知ったことではない。

近頃は、治療をしても症状の進行を遅らせるだけで良くはならない。
寧ろ、症状は増えている。
来年もできるよ、を信じ、諦めたことが山のようにある。
私は、いずれは人工呼吸器が必要になってくると医師に聞かされている。
動けない状態で私は何ができるのだろう。

「もう神様のもとにいきたいよ」
「馬鹿だな、息子はどうするんだ」
「一緒に連れて行く」

本当に馬鹿だ。
私の身近に、死を目前にしている人がいる。
その人はとても輝いていて、死を目前にしても生に対して良い意味で貪欲で、近況を聞くたびに本当に死期が近いのかと驚いてしまう。
私は本当に馬鹿だ。
その方や、私の知らないどこかで闘病している人はどれだけ生きたいのだろう。
それなのに、弱音を吐くなんて愚かでしかない。

しかし、今思うと、私は

「もっと、生きたいよ」

と、泣き叫んだのかもしれない。
そうだ、私は死にたいのではなく、生きたいのだ。
何が何でも。

堰を切ったように、辛い、助けて、怖い、嫌だ、どうして、そんな言葉ばかり出てきた。子供のように泣いた。夫は、私の異変に気づき、私が息子を抱きしめていた時のように抱きしめてくれた。よしよし、と言いながら。

夫は、言葉足らずである。

「これ以上、医療費がかかったらマジで生きていけないんだから。自覚あんの?気をつけろよ。どうしようもないんだよ、部屋に戻れ。諦めろ」
という言葉の前には( )があった。

(退院したてで、起きているのも辛い中、息子も運悪く風邪をひいていて、思うように対面できず、さぞかし辛いだろう。しかし、何とか感情を殺して欲しいのだ。君が感染してしまったら、緊急で入院になる。お金のこともそりゃあ心配だけど、それより君が入院できるかが一番気がかりなんだ。もし入院できなかったら、あいつには母親がいなくなってしまう。母親は君しかいないんだ。そして、)


「これ以上、医療費がかかったらマジで生きていけないんだから。自覚あんの?気をつけろよ。どうしようもないんだよ、部屋に戻れ。諦めろ」

夫よ……ありがとう、こんな私のそばにいつもいてくれて。
伝わらんかったよ……言葉少なすぎます。

私が病気で学校を中退していなければ、働けて苦労をかけなかった。
病気で働けなくても、もっとこまめに掃除をして、私が食事を作って、育児をして、あなたたちが暮らしやすい環境にしたいの。できない、悔しい。

「生きているだけでいいんだよ、誇れよ。頼むから生きてくれ」
そう言ってくれた。それで、私の涙は漸く止まった。
でも私は、生きているだけなんて絶対に嫌だ。
貪欲なのだ。良くも悪くも。
では、どうすれば良いのか。
この問題にぶち当たると、まただがだがループに突入し戻れなくなる。

変わらない事実。
それは、私は病気を抱えていて、大切な家族がいるということ。
家族は、私にとって守るべき対象であるということ。
ならば、私はより強く前を向いて生きていく他ない。

息子の異変については、夫は何とかすると言ってくれ、おんぶをしながら晩御飯を作ってくれた。楽しそうに声をかけながら。
涙が止まってから、スマホの通知を見たら、「大雨」と表示されていた。
どうやら、空が私の代わりに泣いてくれるらしい。

息子の風邪が良くなりますように。
夫が土日ゆっくりできますように。
私も、自分を見つめ直し、冷静になれますように。
早く、息子をぎゅー、できますように。

とても、長い長い吐露を読んでくださった方、ありがとうございます。
病気の方、看病をしている方、育児で悩んでいる方、疲れている方々の心の安らぎがあるよう、祈ります。

明日、天気になあれ!

遙野灯

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育児日記

いつか作業所とアトリエを作るのが夢です。寝たきりになる前に、ベッドの上で出来ることを頑張ります。