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不登校5年目の単独登校②

あっと言う間に10月も中旬。
気づけば前回の投稿から、驚くほど時間が経過していて何を書いたか自分でも忘れるほどです。まずは、振り返りから…

ということで前回は、不登校の息子が母の付添なし単独で登校したというところまで書いていました。
今回は、そんな息子を、私が学校に迎えに行くところから。


下校は晴れ晴れと

朝から昼休みの終わりまでという約束で息子を送り出した後、私は、途中ギブアップの連絡に備えスマホを離さず持ち歩き、いつでも迎えに行けるようスタンバイしていました。かつて、学校でつらい思いをし学校から離れることを選択した息子が、またつらい思いをしたら…と、起きるかもわからない妄想がどんどん湧いては要らぬ心配をするのを、どうにか堪えながら待つこと数時間。ついにギブアップの連絡は入らないまま約束の時間に。
学校の駐車場へ入っていくと、息子はすぐ側の玄関で待ち構えており、車を駐めると駆け寄ってきました。そして第一声「楽しかった!」と晴れ晴れとした表情!登校に対して、とても不安が強い息子にとって、今回の試みはとても勇気がいることだったと思います。ですから、楽しく過ごすことができたということに、母である私がホッとしたのはもちろん、息子自身も、安堵し、満足感や達成感を得られた様子でした。

実際どう過ごした?

では実際、付き添いもなしに長い時間をいったいどう過ごしたのてしょうか…。
担任に様子を聞くと、1校時は交流クラス※で社会科の授業。(※息子は支援級に在籍していますが、特別支援学級では生徒の状況により、通常学級の「交流クラス」と呼ばれるクラスで授業を受けることができます)授業内容は社会科の発表。息子は、離席することなく皆の発表を聴き、後半のノートテイクの時間には、自由に絵を描くようなことをして過ごし、授業終わりにはクラスの子どもたちとおしゃべりをしたりして、子どもどうし関わる様子が見られたそう。2時間目以降は支援級に戻り、途中、保健室に顔を出したりしながら、教室で落ち着いて過ごすことができ、お弁当も楽しそうに食べていたとのことでした。

息子が交流クラスで授業を受けるのは、不登校になる前、小学校1年生の5月以来だったはず。当時のクラスとメンバーも変わっていて、ほぼ初対面のクラスなのに行こうと決心したことに驚きました。それまでは、登校は支援級以外の子どもたちの視線が気になり、恐いとさえ言っていたからです。
また、LDがあり書くこと描くことが極端に苦手で、とても嫌がるのに、描くようなことをしたということにも驚きでした。

帰り道

帰りの車中、息子が少し話しを聞かせてくれました。「楽しかった」「お弁当美味しかった。ごちそうさま!」「〇〇君(習い事で会うお友達)のクラスに行って会えたよ」ということでした。とても嬉しそうに話してくれたのが印象的で、単純に、その表情がとってもいいなぁと思いました。
帰宅後も散歩に出かけたり、活動的に過ごし、1日を満喫した様子でした。

その後

その後はというと…そこから本格復帰したというようなことは、もちろんありませんね(笑)それでも、夏休み前の最終日に登校して、もともと昼前までの日課であったその日は、お楽しみ会を満喫して、また嬉しそうな表情で下校しました。こんな様子で、彼としては調子良く7月を過ごし、夏休みに突入。
それから1ヶ月。休み明けに、新学期ハイのような状態で9月初日に登校すると一気にトーンダウン。自分が思うような集団参加ができず、居場所を見出すことができなかったようです。そんなこんなで、10月中旬の現在は、またマイペースな日々に戻っています。


母として、思うところは山ほどあるのですが、それはまた別の機会に。

息子よ
なかなかに大きな挑戦だったねぇ。
いろんな難しさがあったって、挑戦できたね。
自分から動けたね。
Yeah!High Five!

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