渡邊 明日香

美粧研究家 / はだかの被写体 / おくりびと / みとるひと

渡邊 明日香

美粧研究家 / はだかの被写体 / おくりびと / みとるひと

マガジン

  • 生と死の狭間で。

    毎日、亡くなられた方に出逢う。おくりびと(湯灌師)みとるひと(在宅医療PA)として働くわたしが感じている、生きていること、死んで逝くこと。出来ることなら、生きてるうちにきみに逢いたい。

  • 美しさって、なんだろな。

    美粧研究家として、はだかの被写体として、おくりびととして。高齢者/障害者/亡くなられた方に化粧をして出逢った”美しさ”と、はだかを魅せる行為を通して見つけたわたし自身の”美しさ”と。”美しさ”に苦しめられてきた全ての人と、抱きしめ合いたい気持ちで書きました。

  • お仕事について。

    これまでのお仕事とこれからのお仕事の、記憶と記録。

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わたしの履歴書〜カバーメイクとの出逢いから死化粧に辿り着くまで〜

はじめまして。 おはよう、こんにちは、こんばんは。 美粧研究家で、はだかの被写体で、おくりびとをしています。 わたくし、渡邊明日香と申します。 今日は、わたしの人生について少しお話したいとおもいます。 たのしいことも、苦しいことも、たくさんたくさん。 わたしが見て、聞いて、感じてきたことを、みなさんとほんの少し共有することができたらうれしいです。 それでは、いざ。 1.運命を決めた友人の涙、14歳。わたしの根っこの根っこ、芯の芯、奥の奥の方を形成している、とて

    • 脱毛の広告に腹は立つけど、ありのままの自分をすきになれる訳でもないのです。

      東京は人が多い。 おんなじような時間に、おんなじような格好をして、鉄の箱にぎゅうぎゅう詰めになって、見分けのつかないビルに吸い込まれてしていく。 おんなじような毎日に、鉄の箱の中で目につく広告がある。 目につくというか、強制的に目に入るそれは、笑顔の女の人がこちらを見ていることが多い。 「ワタシ史上最高のワタシを」 と言っている(かのようにデザインされた)それは、わたしに毛を根絶せよと迫ってくる。 制服を着た女の子が爽やかに駆けながら、こうも言っている。 「ワタ

      • 静かに死ぬことも許してくれない、この腐った世界へ。

        人が死んだ。 静かに、だれの手も煩わせず。 たった1人で、その人は向こうの世界へ逝った。 だいすきなお父さんに逢うために。 淋しくて辛いと言っていた。 生きている意味がないと言っていた。 ゆっくりと、でも確実に、家族への暴言が増えていた。 認知症の周辺症状だった。 家族も疲れ切っている。 怒りたくはないのに、怒鳴り返すしかない毎日を悔いていた。 わたしはこの終結を、悪にしてはならないと思う。 生きることは、そんなに綺麗なことばかりじゃない。 ーーー

        • 2023年のお仕事。

          こんにちは、いつもお世話になっております。 美粧研究家 / はだかの被写体 / おくりびと / の渡邊明日香です。 在宅医療PAのお仕事も、もうすぐ2年目を終えます。 2024年には東京から離れる予定なので、関東でのお仕事もぜひお声がけいただけると嬉しいです。 1.美粧研究家のお仕事。●メイク、マッサージの提供 ●美容に関するエッセイ 2023年2月 「死化粧と最期のお顔、穏やかなお別れのために」アピラボ掲載 2.はだかの被写体のお仕事。●ヌードモデル Pho

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        わたしの履歴書〜カバーメイクとの出逢いから死化粧に辿り着くまで〜

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        • 生と死の狭間で。
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          2022年のお仕事。

          こんにちは、いつもお世話になっております。 美粧研究家 / はだかの被写体 / おくりびとの渡邊明日香です。 そして、2022年4月から新しいお仕事をはじめました。 在宅医療PA(Physician assistant)という職業です。 自宅で自分らしく死ねる、そんな世の中づくりの末端の末端でお手伝いができればなと思っています。 伴いまして、拠点を東京に移しました。 いつ、どこにいても、変わらず一生懸命にお仕事は続けさせていただきますので、引き続き、どうぞよろしく

          2022年のお仕事。

          左手の薬指にタトゥーを入れました。

          左手の薬指に、1mmのタトゥーを入れた。 この1mmは、わたしの希望である。 わたしが、わたしであるための。 わたしが、他のだれでもない、わたしであるための。 たった1mm、されど1mm。 だれも気づかないかもしれない。 言われてもわからないかもしれない。 それが1mm。 だけど、わたしは知っている。 わたしはもう、1mm変わってしまった。 ーーー 大切な身体を傷つけてはならないと育てられた。 タトゥーもピアスも、元には戻せないからと。 間違っていな

          左手の薬指にタトゥーを入れました。

          死にゆく人を見つめすぎて、生きてるわたしが見えなくなった。

          人が死ぬ。 昨日も、今日も、明日も明後日も。 人が死ぬ、だれかの大切な人が死ぬ。 止まらない、止められない。 どれだけ頑張っても、人が死ぬ。 そういう毎日を、生きている。 ーーー 「死にたい」人に、たくさん出逢った。 「死んでしまった」人にも、たくさん出逢った。 ただ、羨ましかった。 「死にたい」と言えることが。 「死んでしまった」その勇気が。 わたしには、もう、ない。 「死にたい」という欲望も。 「死んでしまった」事実を作る気力も。 ないのであ

          死にゆく人を見つめすぎて、生きてるわたしが見えなくなった。

          結婚しないし子供は産まない、いまんとこ。

          29歳になった。 「いつ結婚するの?」と聞かれることが増えた。 圧倒的に、増えた。 「今のところ予定はないですね」と答えると。 「子供を産むなら早い方がいいよ」と言われた。 結婚しなくても子供は産めるし、わたしがいつ、子供が欲しいと言っただろうか。 「子供が産まれると世界が変わるよ」 そうなんですね。 わたしの世界に、今のところわたしの子供はいないけれど、わたしの世界は毎日目まぐるしく変わり続けています。 ご心配には、及びませんよ。 ーーー わざわざ自分

          結婚しないし子供は産まない、いまんとこ。

          銭湯は美しさの宝庫。

          裸の身体が並んでいる。 すっぽんぽんで、一列に並んで座っている。 髪を洗って、顔を洗って、身体を洗って。 中には歯磨きしたり、体毛を剃ったりする人もいる。 その身体は、ハリがあったり皺くちゃだったり、痩せていたりふくよかだったり、傷があったり刺青があったり。 いろいろだ。 各々が、自分の身体の何処かしらを見ている。 ここは町の銭湯。 毎日、だれかの美しさが生成されている場所だ。 ーーー 他人の裸を見つめる機会は、日常にはあんまりない。 と思う。 一般的

          銭湯は美しさの宝庫。

          人間の死は綺麗ではないけれど、残酷なほど美しく光を放っているね。

          地面に倒れている少年の顔が、その左側から踏み潰される。 みしみしと音を立てるような、実際のスピードよりも意図的にゆっくりと描かれたであろうそれは、人体の終わりが小綺麗なものではないことを物語っている。 どろどろで、ぐちゃぐちゃで。 少年の歯が、少しずつ歪んでずれ込んで弾け飛ぶ描写が、嘘のない脆さの象徴のようだった。 漫画だし、アニメだし、虚構だし。 そう言ってしまえばそれまでなのだけど、他の漫画やアニメとちょっぴり違って、進撃の巨人で描かれる死は容赦がない気がする。

          人間の死は綺麗ではないけれど、残酷なほど美しく光を放っているね。

          5年分、わたしの裸が吹き飛んだ。

          5年分のわたしの裸が、一瞬にして吹き飛んだ。 撮影データを保存していたiPhoneが、息の根を止めたのだ。 バックアップなんて、とっていなかった。 管理が甘くてちょっぴり後悔したけれど、これでよかったのだと思う自分もいる。 なんだか清々しくて、身体が軽くなったような気がする。 5年間で、わたしはここまで来ることができたのだ。 ーーー 5年とちょっと前、はじめて裸でカメラの前に立ったあの日。 大したことは考えていなくて、ただ面白いと思ってしまったから、一緒に楽し

          5年分、わたしの裸が吹き飛んだ。

          死にたくなったら会いに来て。

          「死にたい」とか「死んでしまいたい」とか、そういう感覚は稀有なものではないと思う。 いつでもどこでもだれにでも沸いてくる、ごく当たり前の感覚。 感情ではなく、あくまでも感覚なのだと思いたいのは、死んだことがないわたし達には、自分が死んだらどうなるかなんてわからないから。 わからないものに対して死に”たい”という表現は不自然で、死を望むことも不可思議で。 だから感覚、そうでなければ衝動とでも呼べば良いのだろうか。 大した理由なんてなくても、わたし達は死にたいと思えてし

          死にたくなったら会いに来て。

          おばあちゃんが死んでしまう前に、母と3人でプリクラを撮りに行った話。

          おばあちゃんが死にかけている。 というと、呼吸は乱れ、意識が朦朧とし、気管血管尿道などなど管だらけになっていて、家族親族その他諸々に囲まれて「おばあちゃん!」と声をかけられている姿を連想させてしまうのかもしれない。 だけどわたしは知っている。 人は、そんなドラマや映画みたいな死に方はしない。 ある日、歩けなくなって。 ある日、食べられなくなって。 ある日、昼夜の境目がわからなくなって。 ある日、訳のわからないことを言って。 ある日、死んだおじいちゃんがそこにい

          おばあちゃんが死んでしまう前に、母と3人でプリクラを撮りに行った話。

          老いて痩せたら、さようなら。

          裸になって、6度目の秋がやってきた。 23歳だったわたしが、28歳のわたしになった。 あの頃と、なんにも変わっていない。 つもりだった。 裸になってカメラの前に立つのは、わたしがわたしである確証を得たかったから。 わたしがわたしとして存在しても大丈夫な世界を、どうしても見つけたかったから。 そんな世界で、みんなで笑って生きていたいと思ったから。 そして、そう願わずにはいられないくらい、世界が腐りきっていたから。 6度目の秋になってもまだ、わたしはわたし達が安心

          老いて痩せたら、さようなら。

          おくりびとがUSJで踊り狂うゾンビを見つめて。

          人が死ぬ瞬間をはじめて見たと、言葉を紡いだ次の日に。 わたしは、ゾンビと踊り狂う人間を見ていました。 USJが3年ぶりに開催したホラーナイトというイベントに、誘ってもらって行ってきました。 そもそも、わたしはホラーが苦手です。 怖いものは、怖い。 確かにそれもあるけれど、死者をコンテンツとして消費してしまうような感覚が、どうしても苦手です。 みんな、誰かの大切な人だったはず。 幽霊だろうが、お化けだろうが、ゾンビだろうが。 その人を産み落とし、愛し愛されたかは

          おくりびとがUSJで踊り狂うゾンビを見つめて。

          生きている人、死んだ人、そして死に逝く人と出逢って。

          人が死ぬ瞬間を、はじめて見た。 死んだ人は、たくさん見送ってきた。 生きている人は、もっとたくさん出逢ってきた。 だけど、その境目は見たことがなかった。 はっきりと、くっきりと。 死んだことがわかった。 色が、空気が、音が、変わった気がした。 魂というものがあるのだとしたら、わたしはきっと、魂が肉体から離れた瞬間を目撃したのだと思う。 人が死ぬということは、なぜこんなにも美しいのだろう。 ーーー 亡くなられた方の最期の身支度をお手伝いしてきました。 はじ

          生きている人、死んだ人、そして死に逝く人と出逢って。