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人間の死は綺麗ではないけれど、残酷なほど美しく光を放っているね。

地面に倒れている少年の顔が、その左側から踏み潰される。

みしみしと音を立てるような、実際のスピードよりも意図的にゆっくりと描かれたであろうそれは、人体の終わりが小綺麗なものではないことを物語っている。

どろどろで、ぐちゃぐちゃで。

少年の歯が、少しずつ歪んでずれ込んで弾け飛ぶ描写が、嘘のない脆さの象徴のようだった。

漫画だし、アニメだし、虚構だし。

そう言ってしまえばそれまでなのだけど、他の漫画やアニメとちょっぴり違って、進撃の巨人で描かれる死は容赦がない気がする。

目を背けたくなるような、わたし達の肉体が腐って弾け飛ぶ存在であることを突きつけられるような、そんな描写たち。

踏み潰された2人の少年が、その形をカケラも残すことすらなく蒸発している様子に、明日の我が身を想う。

生臭くて安心する。

人は、そんなに綺麗には死ねないのだ。

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実際のところ、わたし達が巨人に踏み潰されて死ぬ可能性は、あまり高くない。

というか、ほぼない。

ここでわざわざ「ほぼ」とつけるのは、この先わたし達の世界が巨人に蹂躙される可能性が“ない“とは言い切れないからで、巨人に踏み潰されて死ぬかもという現実に怯えているということではない。

巨人に踏みつけられて死ぬって、どんな感じなのか、多少の興味は湧くけどね。

人が死ぬ漫画やアニメは沢山あって、死にもいろんな種類があるけれど。

その死からは、あまり生臭さを感じられない。

なぜだろう。

あまり血が出ないから?

本当にグロテスクな部分は放送されないから?

色のない紙面上の出来事だから?

虚構の世界では、小綺麗な死が羅列されているように見えるのは、なぜなんだろう。

死の不気味さが画面を飛び出してはこないからだろうか。

実際には誰も死んではいないからだろうか。

わからないけれど、確かに“綺麗”な死がそこにはある。

それらは、わたしの知っている死とはちょっと違っている。

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わたしが出逢ってきた死は、とても静かで。

音がない音がしている感じがする。

巨人に踏み潰されたようにぐちゃぐちゃになってしまうことも確かにあるだろうけど、それは数の上では少数で。

ほとんどの人の死は、とても静かだった。

そして、何故か光っている。

光っている、ように見えるだけかもしれない。

わたしの目が、何らかのフィルターを通して死を見つめてしまっているのかもしれない。

それでもわたしの目に映る死は、いつも光を放っている。

静かで、人間特有の生臭さを持ち、そして光を放つ死を、わたしはたくさん見てきた。

美しいと思った。

これは一体、なんなのだろうか。

この違いは一体、なんなのだろうか。

綺麗な死と、美しい死。

その中間に、進撃の巨人は位置している。

そんな気がする。

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Photographer : Mighty Tom

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