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銭湯は美しさの宝庫。

裸の身体が並んでいる。

すっぽんぽんで、一列に並んで座っている。

髪を洗って、顔を洗って、身体を洗って。

中には歯磨きしたり、体毛を剃ったりする人もいる。

その身体は、ハリがあったり皺くちゃだったり、痩せていたりふくよかだったり、傷があったり刺青があったり。

いろいろだ。

各々が、自分の身体の何処かしらを見ている。

ここは町の銭湯。

毎日、だれかの美しさが生成されている場所だ。

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他人の裸を見つめる機会は、日常にはあんまりない。

と思う。

一般的には。

わたしの日常はそうではないので、たぶんとしか言えないけど。

たぶん、他人の裸は、そんなに身近なものではないはず。

だから、銭湯って凄いと思う。

自分の裸を晒して、同時に他人の裸にアクセスできてしまうのだから。

もちろん、失礼なことはしてはいけない。

そんなことは、言うまでもない。

ただ、その場にいるだけで、物凄い量の情報がわたしに流れ込んでくる。

他人の裸は、とんでもなく面白い。

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誰ひとりとして、同じ身体を生きている人はいない。

腕の長さ、肩の巻き込み具合、お尻の丸み、乳房の色、毛の生える向き、肌の色、骨の浮き出る形。

みんなみんな、違っている。

銭湯に行くと、美しさの基準が意味を持たないことに気づく。

誰ひとりとして、理想とされている身体を生きている人はいない。

みんなみんな、何処かしら”欠けている”のだ。

わたしは、その欠けた身体こそが、人間の美しさだと思っている。

もし唯一無二の正解が、美しさにあるのだとしたら。

全員、その身体に作り替えてしまえばいいのだから。

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今日もまた、わたしは銭湯で自分の身体を見つめている。

隣の人が丁寧に毛を剃っているのを見ると、わたしもやった方がいいのかなって考えてしまう時もある。

だけど、わたしには必要ない。

少なくとも、毎日毛を剃ることを望んではいない。

そういう美しさがあってもいいんだって、他人の裸に教えてもらったから。

わたしの裸は、銭湯に溢れかえる数多の裸のひとつでしかない。

今日もわたしは、美しく“欠けている”身体を生きている。

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Photographer : Mitsuo Suzuki

ご覧いただいて、ありがとうございます。サポートいただいたお金は、これからもいろんな活動に励むために使わせていただきます。生きること、死んでいくこと、美しさとはなんなのか。わたしなりに探し続けていきますので、引き続きよろしくお願いします。