脱毛の広告に腹は立つけど、ありのままの自分をすきになれる訳でもないのです。
東京は人が多い。
おんなじような時間に、おんなじような格好をして、鉄の箱にぎゅうぎゅう詰めになって、見分けのつかないビルに吸い込まれてしていく。
おんなじような毎日に、鉄の箱の中で目につく広告がある。
目につくというか、強制的に目に入るそれは、笑顔の女の人がこちらを見ていることが多い。
「ワタシ史上最高のワタシを」
と言っている(かのようにデザインされた)それは、わたしに毛を根絶せよと迫ってくる。
制服を着た女の子が爽やかに駆けながら、こうも言っている。
「ワタシはワタシのために脱毛するんだ」
右下には”◯ヶ月無料”と書いてあって、それ以降はいくらかかるんだ、そもそも脱毛は◯ヶ月で終わるんだと鉄の箱に揺られながら思う。
制服の彼女とはまた別に、くたびれたマダムが鏡を見ていることもある。
「クマもシミも消えません」
白衣を着た医者っぽい男性がそう言っている。
そうですか、と頭の中で泡が弾ける。
この頃は”韓流肌”というものが流行っているのか、自ら光を放つかのような白い肌の韓国の人(っぽく見えるだけで日本人かもしれない)が男女で並んでいるのも見た。
美容医療の魔力は最早女の人を食い尽くしたのか、遂に性別を超えて呪いをかけにきた。
「ムダ毛見られてるよ」
わたしでも知っているアイドルの男の人が、わたしなんかよりつるつるすべすべの脚を見せてそう言っている。
こわい、こわいよ、なんかこわい。
なにがこわいかって、そういう”だれかの頭で作られた美”がLove yourselfを謳っていることだよ。
こんなに劣等感を、未熟感を煽っておいて、Love yourselfはないだろう。
だったらLove 美容医療って言い切ってくれた方が、まだ安心できるのに。
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こういう話をすると「脱毛したっていいじゃない!」と怒られることがある。
ちがう、ちがうよ。
脱毛が、シミ取りが、二重術が、ヒアルロン酸が、糸リフトが、そういう選択肢が悪いんじゃない。
そういう選択肢を選ばない人を、選べない人を、だめな人認定するシステムに震えてるんだよ。
いつでもタトゥーを入れられるけど、自分の意志で入れてなくて、でも入れないからって「こいつだめだな」って思われないのとおなじ感じ。
そんな感じに、なればいいのに。
わたしが言ってるのは、そういう話。
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かといって、じゃあ脱毛しない選択をしたわたし自身をすんなりLove yourselfできるかというと、そういう訳じゃないのがややこしい。
結局、毛が生えたままのわたしを、わたしは既に嫌っているのです。
わたしも人間という生き物なので、放っておいたらワキに限らず、腕にも脚にも、もっと言えばお臍の周りとか指と一本一本とか、究極ケツの穴周りとか大事なところとか、全身どこでも生えてくる。
家族とか恋人とか、わたしのことをよく知ってくれている人の前では、もうなんとも思わなくなったけど。
お風呂(自宅に風呂がないので毎日銭湯通いです)で知らない人に見られる時とか、暑くて腕まくりし(わたしは年中長袖で過ごすのがすき)て職場の人に見られる時とか、そういうのは気になる。
どうしても、気になる。
なんにも言われないけど、気になる。
この気持ちは、なんなんだ。
別に毛を剃らなくたっていいじゃないかと思ってはいる。
なのに、毛が生えているわたしを見られるのは、恥ずかしいというか気が引けるというかなんというか。
脱毛の広告には「クソ喰らえ」と腹を立てているのに、脱毛しない自分を「大丈夫かな」と不安になる。
なんで、こんな気持ちにならなきゃいけないんだ。
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結局わたしも、もう充分に脱毛神話に浸ってしまったのだろう。
つるつるすべすべ、これ一番。
信じたくないけど、本当は否定したいけど、そういう価値観をどこかで持っている。
だからつるつるすべすべから外れることに、恥や恐怖を覚えるのだ。
それでもひとつ、はっきり言い切れることがあるとすれは。
大丈夫、毛が生えてても、死にやしないからさ。
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Photographer : Katsuro Nagaoka
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