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おくりびとがUSJで踊り狂うゾンビを見つめて。

人が死ぬ瞬間をはじめて見たと、言葉を紡いだ次の日に。

わたしは、ゾンビと踊り狂う人間を見ていました。

USJが3年ぶりに開催したホラーナイトというイベントに、誘ってもらって行ってきました。

そもそも、わたしはホラーが苦手です。

怖いものは、怖い。

確かにそれもあるけれど、死者をコンテンツとして消費してしまうような感覚が、どうしても苦手です。

みんな、誰かの大切な人だったはず。

幽霊だろうが、お化けだろうが、ゾンビだろうが。

その人を産み落とし、愛し愛されたかはわからないけれど、誰かしらと何らかの関わりを持って生きたはずのその人を。

わたし達が勝手に絶叫して勝手にスッキリするための、掃き溜めにしてしまっていいのだろうか。

そんな想いが、どこからか湧き上がってくる。

幽霊も、お化けも、ゾンビも。

実在するかなんて、わからないんだけどね。

ーーー

USJで踊り狂うゾンビの中に、そんなわたしの心を鷲掴みにした個体がいる。

ツタンカーメンと思わしき仮面を被ったゾンビである。

ツタンカーメンは実在したエジプトの王様で。

その王様が死して干涸びてミイラ化しているはずで。

ということは、かぴかぴの死体であるはずで。

なのにわたしの目の前で、ゾンビになって踊り狂っているのだ。

どういうことなのだろう。

ゾンビって、ミイラ化した状態からでもなれるものなのだろうか。

動くたびに、ぽろぽろと朽ちてばらばらになってしまいそうな気がする。

だけど、目の前のツタンカーメンゾンビは、踊り狂っている。

不思議だ。

そんなかぴかぴツタンカーメンゾンビを、一生懸命写真に納める人間たち。

不思議だ。

仮にミイラがゾンビになれたとして、それでもツタンカーメンは、重くて首がもげそうなぎんぎらの仮面を被り続けるのだろうか。

不思議だ。

ミイラだろうがゾンビだろうが、他者に見られるとことを想定しているなんて。

なんて、不思議で面白いんだろう。

ーーー

人が死ぬことを、大抵の人は知らないんだなと思う。

頭では知っているのだろうけど、経験としては知らないんだなと思う。

目の前の大切な人が、死んで、動かなくなって、朽ちて果てるのを。

簡単には想像できないのだなと思う。

死んだ人と、死にかけの人と、死に逝く人と出逢う中で、わたしはそう思っている。

だからこそ、ゾンビと一緒に踊り狂うことができるのだ。

そうやって、エンターテイメント産業は回っている。

わたしの日常は、死んだ人と、死にかけの人と、死に逝く人と近づきすぎたのかもしれない。

ゾンビになった人の過去に想いを馳せ。

ゾンビになった人を大切にしていた人の涙を想像し。

ゾンビになっても尚、死ぬことが許されない人の心を見つめてしまう。

(目の前のゾンビが生きた人間によって作り出されたファンタジーだと一応は理解しているけどね)

わたしは、大切な人が死んでも尚、ゾンビになって踊り狂う姿は見たくないと思う。

わたしは、自分が死んでも尚、ゾンビになって踊り狂うなんて死んでも避けたいと思う。

さっさと腐って、自然に朽ち果てたい。

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Photographer : Yukihiko Kuga

ご覧いただいて、ありがとうございます。サポートいただいたお金は、これからもいろんな活動に励むために使わせていただきます。生きること、死んでいくこと、美しさとはなんなのか。わたしなりに探し続けていきますので、引き続きよろしくお願いします。