辛い話を「わかる」と言われて怒った話。 人の辛さはわからない 240306
「わかります」という言葉は、相手の辛い気持ちに寄り添うつもりで使われることもありますが、実際にはなかなか理解できないことが多いです。
さいとうはこの「わかります」という言葉で大失敗をしたことがあります。
失敗したことをバラしたくないのですが、真面目なふりして書いておきます。
忘れないために記すものです。
昨年のことです。
法事で従弟に会うことがありました。8つ違い。会うのは10年ぶりです。
でも、その時の彼は仕事に疲れ会社を休んでいました。
従弟は50代ですから責任を担う立場なのでしょうが、会社から厳しい成果を要求され続けたあげく、精神的に病み、ガリガリに痩せ、足までも弱らせたため入院していたのです。
法事の時も入院治療中でしたが、最悪な時期は脱した頃で、病院は外出許可を出してくれました。
会った時、彼はまだ痩せていて少し歩きづらいようでしたが、久しぶりの再会を喜んでくれました。
状況を聞くと、会社は身体が元に戻るまで休んでいいと言ってくれているようで、部署も変えてもらえるそうです。今は当たり前なのかもしれません。いいことです。
それに、話を聞く感じでは身体もずいぶん回復しているようでした。
仕事と彼自身のいろんな話を聞きましたが、聞いてるだけでもなかなか厳しい話です。彼は「もう、どうしていいかわからなかったですよ。だから…、…。」
と入院に至る辛い時期のことを教えてくれました。
わたしは、
「どうすればいいのかわかんない時って辛いやろうねぇ。。。今の病院の先生の言う通り治療していけばきっと大丈夫よ。ゆっくり治しや」と伝えました。
彼は誰よりも辛かったのです。
それからは、従弟が小さな頃の懐かしい思い出話などをしていました。
ですが、、
実は俺もね…と、自身の病気のことで会社を休職してから退職に至る、辛かった時期のことを話したのです。病気は違いますが、少しでも似た経験の話をして寄り添いたかったのです。
ですが、話をしてる最後に「ほんまに辛かったよ。わかる?」と聞いてしまったんです。
すると、彼に「わかります」と言われました。そうとしか答えようのない問いだし、その時の彼は辛さをわかると思います。
なのに、「そう簡単に、『わかります』なんて言うな。わかるわけ無いやろ」
と怒ってしまったのです。
おかしいでしょう。辛くて入院していた彼を慰めに行ったのに怒ってしまったのです。
わたし自身の辛い気持ちを話してるうちに、当時の感情がよみがえったのかもしれませんが、簡単に「わかります」と言われたことによる嫌悪感がありました。
彼への嫌悪は全くなく、「わかります」という言葉そのものの嫌悪です。
でも、
「なんて言ったらいいんですか」
と彼は戸惑っていました。
せっかくこちらの気持ちに寄り添って言ってくれたのに、申し訳ないです。
お互いが辛い感情を持っているからこそ話せた内容なのです。。。
なんか彼には悪いし、いったいわたしは何をしに行ったのかわからなくなりました。
このように「辛い」という感情は人によって大きく違います。まして病気の辛さは様々な事柄が絡んでくるので他人にはわからないことの方が多いかもしれません。
「辛い」人は誰よりも自身が一番辛いと思っています。それでいいと思います。
さいとうも思ってました。
辛い時を経験してる人さえ「辛さ」の共有は難しい。
辛い人はわかってほしくて「わかる?」と聞いてしまうことがありますが「わかる」などと言ってはいけません。
人の辛さはわからない。
辛い人に寄り添うときはただただ聞く。あるいはオウム返しのように繰り返してあげるのが一番なのかな、と思いました。
これは私の失敗談です。寄り添いに行ったのにまさか逆の立場になって自身が怒るとは思いもしませんでした。
後で彼に謝りましたが、引っかかるものが残ってしまいました。
こんな内容のこと書いてましたが、どうにも投稿出来ず、下書きに入れっぱなし。
先週、他にこんな人がいるだろうかとGoogleで調べたらnoteのkazeさんが投稿しておられました。
勝手に申し訳ありませんがご紹介します。
記事にはこうありました。
高畑淳子さんの熱のこもった名演技とともに、なんだか今の自分にささった。
と、kazeさんが投稿しておられました。
ドラマのお話からの投稿のようでした。
さいとう家では、夫婦であってもわかりあうのはなかなか難しいですが、、ささるお話でした
あぁ、読んでおけばよかった。
反省。
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