見出し画像

ユトレヒトの黒い兎

最後にオランダを訪れてから3年と半年が経っていた。
海外に行けるようになったら、絶対にまた行きたいと思っていた。

2023年8月。
3.5y振りのオランダ旅が始まった。

アムステルダムのスキポール空港に着いて、何より気温の心地良さに心躍らずにはいられない。
22〜23度の完璧な気温と、晴れやかな天気。独特の街の香り。夜10時くらいまで空は明るく、1日がとても長く感じる。この時期、ちょうど陽が沈む時間は皆、外で仲間とゆっくり過ごす。
そんなバケーションの空気を味わうことが出来ただけでも、旅行に来て良かったと思う。

まだ着れていなかった新しい秋物の洋服を持ってこられたし、日本の恐ろしい暑さと湿気から少しの間だけでも逃避できて嬉しい。きっと良い旅になる。

友人と合流した。
長い間日本語を話していなかったらしく、来てくれて嬉しいと言ってくれた。友人はぶっ通しで喋り続けていた。日々思うこと、感じることがたくさんあるみたいだ。お互いにインプットしてきたことを、アウトプットし合えたら良い。

オランダは自由だ。
多くの人が口を揃えてそう言う。
行った人にしか分からない独特の空気感があると。

もちろんバケーションのシーズンでみんなが楽しそうな事ももちろんあるが、それ以上に、オランダにはとても心優しい人が多い。
だからなのかは分からないけれど、ホームレスの人達とも友達みたいに会話するらしい。

店員さんも、友達の友達も、会った人達まるごと皆んな優しかった。人に優しくなれる人は、とても強い。

オランダは国民の幸福度の高さも、世界トップクラスだ。
自分が幸福かと問われ、幸福だと答えられる人が多いということだ。そんなふうに即答出来たら、どれだけ素晴らしいだろう。
私は何を持って幸福だと感じるのだろう。
人は生きてるだけで素晴らしいのに、幸福とは感じられないでいる。そう思いたいのに。

2日目の朝は7:00に起きてベッドの上でストレッチをし、隣のカフェでコーヒーを飲んだ。オランダのコーヒーの大会でトップを獲ったそうだ。
どのメニューでプライズを獲ったのか聞くと、ラテとのことだった。注文したダブルショットのカフェラテがとてもとても深い美味しさで、心が満たされた。
まだ朝の8:00で、それからそのあとは部屋でBill Evansのアルバムを流しながら、読みかけの本を読んでいた。そして昼過ぎまで考え事をしていた。家族のこと、友達のこと、好きな音楽やアートのこと、自分について。人生について。私はこれからどうやって生きていこうか。

考えていて分かったことは、普段のインプットは自分の脳が欲しい情報だけを自動的に取捨選択していて、そこには自分の意思が勝手に介在しているということ。脳はそんなに万能ではなく、欲しい情報しか入らない。
私はこの時初めて価値観が"曲がる"体験をして、偏った自分の考え方に気づく。

物事に対しての偏見や、これはこうだろう、あの人はこんな人だろうという勝手な定義。それらのせいで物やコト、人の本当の価値を自分で限定してしまっているのではないか。
良くも悪くも結局は自分の考え方次第なのだけれど。

そして普段とは違う場所だからこそ気付かされ思い知らされる、自分の多動ぶり、、
普段脳内で高速で処理されているであろう情報たちが、自由な時間を過ごしていると頭の中に溢れかえってきて、こぼれ出してしまいそうになる。
試しに全部口に出してみると、かなりしっちゃかめっちゃかで、それでも身体は1つしかなく、足も2本しか無いので、まるで足りないので困ってしまった。

これでもかとこれからやりたいことを口に出した後、なぜか最後に言ったのは
出来ることなら田舎に住んで毎日ずっと本を読んで、勉強だけをしていたい。
だった。もう訳がわからないけど、それなら身体も足も足りそうだ。

昼過ぎ、友人と街を散歩していた。
この時も考え事は続いていて、友人はまた2.3時間ほど喋り続けていた。
滞在していたのはユトレヒトというアムステルダムから30分ほどの小さな街で、友人はこの街に住んでいて、とてもとても気に入っていた。
帰ってから、私にユトレヒトの良さを3%しか伝えられなかったと後悔していた。

穏やかな運河を見て、一目で私もお気に入りになった。観光客はあまりおらず、大学があるからかお洒落で素敵な若者も多い。家族や年配の方まで幅広い人が住んでいて、街としてとても良い場所なのだと思った。

ミッフィーの信号機があって可愛いなって思っていたら、視界にある銅像が目に入った。
それは兎の形をしていて、ミッフィーの化身のようなとても恐ろしい出立ちで、街の中心の広場の端で私たちを見守っていた。(見張っていた)

ユトレヒトの悪(陰)の部分を、全てあの銅像が担っているのだと知った。この銅像も友人のお気に入りの一つで、黒い兎と呼んでいた。

運河沿いを散歩していたら、あひるが10羽ほど運河を泳いだり、陸に上がって戯れたり、私たちの座るベンチに群れをなして近づいてきたりした。
友人は村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」から引用して彼らをあひるの人たちと呼んでいた。
あひるは彼の作品の中で、唯一の善として存在していた。笠原メイは闇の中に堕ちそうな時、あひるを目印にしてこの世界を繋ぎ止めていた。

私は飛行機の中で読んでいた「街とその不確かな壁」について思い出していた。
主人公の中にある、もう一つの壁の世界。
ユトレヒトは昔、壁に囲まれた街だった。
作中には壁と運河とアンネの日記が度々登場するし、リンクしてしまわない訳にはいかなかった。
あひるの人たちを眺めていて、ふとベンチから振り返ってみるとそこに、昔は大きな壁だったであろう、レンガの壁の名残りが静かに佇んでいて2人でとても驚いた。

壁の内側の運河のほとりで、私たちはあひるの人たちをしばらく眺めていた。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?