日本語を学んでたロヒンギャの彼_ミャンマー

メイッティーラという町に、当時、ミャンマーのお坊さんが自分のお寺で日本語を教えているという話を聞いて、パガン遺跡の観光の後に向かった。

早朝のバスに乗り5-6時間で着いた記憶がある。

ホテルは2軒くらいしかなくて、1軒に行ったら頼んでもないけど2部屋しかないコテージ風の部屋を充てがわれた。

湖が有名な町みたいだけど特に観光客が寄るような町ではないらしく、町を歩いても観光客は皆無だった。

コンタクトを事前に取ったりはしていなかったけど、お寺だから誰かはいるだろうと、ホテルに荷物を置いてその足で向かってみた。

お寺に着いて、門をくぐると直ぐに声がかかった。
「日本の方ですか?」
それが、彼だった。

直ぐにいろんな人に声をかけたらしく、その後に沢山の学生がお寺に集まって来た。

彼らの日本語の能力は素晴らしく、その後2泊したが、バイクの後部座席に乗せてもらい町を連れ歩いてくれたりする中で、ミャンマーの若者の考えてることや、出家の話とか知らないことを教えてくれた。

その日の夜に、早速若者3名が、ミャンマーの天ぷらを出す町の人気店に連れて行ってくれた。

その時に、その彼がイスラム教徒だと知った。

わたしはミャンマーにイスラム教徒がいることを知らなくてとてもびっくりした。
それと、その彼がテーラワーダのお寺で日本語を学んでいる事にも。

イスラム教徒でも仏教のお寺に入っても良いんだね。とか、言ったかもしれない。

彼らも、彼らを指導するお坊さんも、彼に対して特別に接する感じではなくここでは何も問題がない、という感じだった。

彼はどうしているだろうか。
学んだ日本語を生かして、やりがいある仕事に就けているだろうか。
それとも、町を追われ苦しい思いをしているだろうか。
生きていてほしい。

当時はまだミャンマーは軍事政権下で、それほどネットが繋がらなくて、家族への連絡は盗聴されてるともっぱらの噂の郵便局からの国際電話だった。

ミャンマーからのハガキは一枚も日本に届かなかった。

でも町はとてもおだやかで、お寺でぐうすか寝てても何も盗まれたりしなかった。

当時も奥底ではドロドロしたものが渦巻いてたのかもしれないけど、それでもあの温かい優しさはたしかにあったと思う。

それが失われていないといいな、と、祈る気持ちでいる。
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