ゴラン高原を眺めて_ヨルダン

「シリアの花嫁」という映画をご存知だろうか?
わたしは日本で上映されたそれを見て、ゴラン高原に興味を持った。

イスラエルに実効支配されているゴラン高原。昔は日本のPKO部隊も派遣されていた。

映画はゴラン高原に住む家族の物語で、娘がダマスカスのテレビ局に勤める男性と結婚するという話から始まる。
嫁ぐとそれは片道切符で、娘はゴラン高原の家族の元には帰れなくなる。
家族と二度と住むことは出来なくても、それでも娘にとっては支配からの脱出になる。
分断された家族は拡声器でお互いの無事を伝え合う、という話だった記憶がある。

2008年の夏にシリアに旅行した際、当時シリア側から入れるクネイトラという町に行こうかと思ったが、その時はほかに行きたい場所があって行けなかった。

そんなゴラン高原を、ヨルダンから見ることができると聞いて、わたしはウンム・カイスに向かった。

ジャラシュ遺跡を観光した後、初めて流しのタクシーと交渉して向かうという経験をした。
ジャラシュ遺跡からウンム・カイスに向かい、そこからイルビドのバスターミナルまで。
そのあとはアンマン行きのバスに乗るという予定を立てた。

タクシーの中では運転手がヨルダンは農業も工業もダメで観光業しかない、と、嘆いていた。
自分は航空会社のエンジニアだけど、経済が悪く仕事がない。だからタクシーの運転手をしてる、と。

そんな切ない話を聞きながら到着したウンム・カイスは、想像よりも素晴らしい遺跡だった。
朽ち果て感がわたし好みで、夕景が迫ってきてることもあり観光客は皆無。

大好きな
「この世界にわたしひとり。当時にタイムスリップ」
感を存分に味わう事ができた。

ゴラン高原を眺める事ができる場所に、男性3人組が座り込んでお喋りしていた。
彼らに「あれはゴラン高原?」と指差して聞いたら、「そうだ」と返答。

「あそこはシリアなんだよね?」と聞くと
「ヨルダンでもあるよ」と。
彼らにとっても行くことはできない母国なのだ。

ヨルダンやシリアを旅してて思うことは、彼らはとても人間らしい感情を持っているのだけど、それでも根底にはどうにもならない状況を受け止め耐える、そういうメンタリティが備わっているような感じがしていた。
思い通りにはならない人生、を、言葉ではなく実感で知っているような。

そんな彼らはとても強いし、歳を重ね静かに佇んでいる姿は、それは哲学者のように見える人も多い。


#海外一人旅 #バックパッカー #女一人旅 #ヨルダン #中東 #イスラム圏 #アラブ #旅エッセイ #遺跡 #海外旅行 #旅人 #写真


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?