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親に一度だけ悪魔の子を見るような目で見られた事があります


それは確か小学校2年生の時。

私は母親とお風呂に入っていました。


私はお風呂場で母とお話をするのが好きでした。

昔から考え事をするのが好きだった私は、
最近考えていることを母に話してみたり、意見を求めたりしていました。


その日はとっておきの話のネタがありました。

今まで生きてきた中で(たったの7,8年だけど)
1番の大発見をしたつもりでした。

もしかしたら自分は天才なのかもしれないとさえ思いました。

きっとこの話を母にすればとても褒めてくれるだろう。そう思って意気揚々と話した私は、初めて母親に悪魔の子を見るような目で見られたのです。


まず、私は母にこう言いました。


私「あのね、ママ。地球が一つの生き物だとしたら、
人間はガン細胞みたいなものなんだよ。

母は「どうして?」と聞きました。

私「だって、地球が私たちや動物たちが生まれて死んでいくサイクルのおかげで何億年も生きる一つの生き物だとすると、私たち人間は地球にとっては細胞みたいなものでしょ」

母「うん」

私「人間が生まれる前の地球はとっても健康的だったんだよ。人間が誕生して、急激に増えていくにつれて地球の環境が壊されていった。人間が生まれたせいで地球は病気になったんだよ。」

母「…」

私「だから、人間が生まれた時点でもう終わりなの。地球温暖化は進むし、戦争は終わらない。地球は不治の病なの。地球が健康に戻るには、人間が絶滅するしかない。


きっと私は話しているうちに熱くなってそんなことまで言ってしまったんだと思います。

話し終わった私は違和感を感じました。

称賛の言葉はなく、代わりにそこには私のことを物凄い顔で見る母がいました。それまで見たことのない、あれ以来一度も見ることのない表情。
怒りでも呆れでもなく、驚き、戸惑い、まるで「この子は誰の子供?本当に私の子供?」と心の声が聞こえてきそうな顔でした。私は人生で初めて、母親にドン引きされたのです。


そして母は私にこう言いました。

まだ子供なんだから、もっと世界に対して希望を持って生きなさい。

今思えば母の反応は当然のものです。

まだ10年も生きていないような幼い自分の子供が、この世のすべてを諦め、完全に世界を達観しているのです。
そりゃドン引きもするし、もっとこれから何十年と続く人生を、夢や希望を持って生きて欲しいと思うのは親として当たり前のことです。


しかしその時の私には訳がわかりませんでした。

最低な母親だと思いました。

こんなに考えたのに。
自分の子供がたくさん考えた末に出した意見を、
真っ向から否定するなんて。と。

母親から悪魔の子を見るような顔で諭された私は、
部屋に戻ってから自分の価値観を実の親に否定されたショックと悔しさで号泣しました。


では、当時の私が何故そんな話をしたのか
お話しします。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ ✍️


「親に悪魔の子を見るような目で見られた」というタイトルを見たとき、
多くの人が「自分の子どもを悪魔の子と言うのならば、その親自身は悪魔だろ」と思うでしょう。

私の両親は悪魔とは程遠い人間です。

心優しく、温かい人間から私のような子どもが生まれたから、母は驚いたのです。「この子は誰の子?」と。
そんな言葉を発しはしませんが、確かにそう思っている顔でした。


しかし、少なくとも私が現実的な考え方をするようになったのは父親の影響だと思います。

私は、忙しく働く母をサポートする「イクメンの先駆け」だった父親に主に育てられました。


感覚派の母と正反対の父は、理論派でした。


私は父の話を聞くのが大好きでした。
本を読むのが苦手な私でしたが、知識をつけるには父の話を聞くだけで十分でした。父は私にとって百科事典でした。


当時聞いた父の話で一番感銘を受けたのが、
「ミクロコスモス」と「マクロコスモス」の話です。


私が母に話した話の序盤は父の話の受け売りです。


「動物の身体が、数え切れないほどの細胞が数時間ごとに生まれ代わることで出来ているのと同じように、この地球も我々動物の生命のサイクルで生きている生き物であり、この地球が存在する宇宙も、惑星の発生と消滅を繰り返すことで大きくなり続ける一つの生命体である」


という考え方。
この考え方をすると、ミクロな視点でもマクロな視点でも想像が止まることを知りません。

細胞はたしかに「生きている」と言えて、彼らにとって私たちは地球のようなもの。

その細胞の中にもミクロ過ぎてまだ判明されていない世界が広がっているかもしれない。

その世界からしたら私たちは宇宙だし、
私たちが存在するこの宇宙も、もっとマクロな世界では単なる一つの細胞に過ぎないのかもしれない、というものです。


私はこの概念を心の底から面白いと思いました。
今でもスマホのメモ機能にメモしてあります。
大好きな学説なんです。


そしてその頃、学校では「地球温暖化」などの環境問題について学んでいました。

学校の先生が言うには、人間が生活する中で排出されるガスのせいで、南極の氷が溶けているらしい。

また、人間が木材を大量に伐採するせいで、森林が減っているらしい。

「地球温暖化防止の標語を書きましょう。」
「今週、地球のために何を頑張ったか書きましょう。」

そんな課題ばかりやっていた記憶があります。

その他にもたくさんの環境問題を学びましたが、その全てが人間のせいでした。

何も悪いことをしていない動物たちが、人間の身勝手な行動で苦しんでいる。

地球が発熱している。
人間のせいで。

父から「ミクロコスモス」「マクロコスモス」の話を聞いたばかりでそのことが頭から離れなかった私は、

やっぱり!

そう思ったのです。
やっぱりそうだ。地球は生きてるんだ。地球の細胞である私たちが、地球の生死を左右しているんだ。

パパの言っていることは正しかったんだ。

私は単純に嬉しかったのです。

地球温暖化は進み続ける。
戦争は終わらない。

そう断言してしまうことがどれほど残酷なことか、
幼い私にはまだ分からなかったのです。


母に否定された私は、
私にあの話をしてくれた父なら分かってくれると思い次は父に話しました。

するとやっぱり驚いた顔で、
でもドン引きせずに聞いてくれた。

父は驚きつつも微笑みながら、
「君は少し世界を達観し過ぎている」と言いました。


思えば私は本当に可愛くない考えをする子供でした。

夢を見れない子供でした。


サンタクロースの存在も、
小学校1年生の時には信じていませんでした。

理由は、「ソリが空を飛ぶ訳ない。」

はい。ごもっともですねはい。

中3くらいまでサンタを信じていた兄のために、
毎年サンタに手紙を書く「クリスマスごっこ」に付き合ってあげていました。


保育園で先生から「将来は何になりたい?」
という質問をされたとき、

揃って「忍者!」と答える同級生たちに
私は「忍者なんていないよ。」と言い放ち、

「将来は引っ越し屋さんになりたい」と
思ってもいないことを言いました。


本当はデザイナーになりたかったのに。

本当に憧れている職業に対して、
私なんかがなれる訳ないと勝手に決めつけるのです。

もう一度言いますがこの時まだ園児です。

私はそういう子どもでした。


可愛くね〜〜〜…。

あまりにも可愛くなさ過ぎて悲しい。

こんなに可愛くない子供がかつていただろうかというくらい可愛くないですよね。

見た目は天使だったんですけどね?(自分で言うな)

相変わらず理屈っぽく高望みできない現実主義的な性格ですが、

良い人間関係に恵まれ、

温かい心を持ち合わせておりますのでご安心下さい。

父、母、兄とは友達のような仲です。
みんなでカードゲームをやって爆笑するような。

将来についても、
今は新しい夢に向かって着実に進んでおります。

世界については、環境問題が解決するのか
戦争が無くなるのかは分からないけど、

「絶対に無くなる。そう信じていれば必ず実現できる。」と、真っ直ぐな目で語る友人に出会ってからは

「人間が全滅しない限り無くならない」だなんて断言することは絶対にしないと決めました。

信じれば必ず実現できる。
そんな信念を持って活動する人たちがいる限り、
私も最初から諦めたりせず、夢を見よう。
今ではそう思っています。

ご安心下さい。


それでは。
私の幼少期のお話、長々と失礼しました。🍞


[本日の朝ごぱん]

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