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愛の対価


私は、無条件に「愛される」ということを理解できないまま成長して大人になってしまった

「愛される」という感覚がわからないから
「愛する」という感覚もわからない

「愛される」ことに対しても
「優しさ」をもらうことに対しても
そこには対価が必要で
対価の必要ないものが存在するなんて知らなかったんだ

誰かに優しくされると、その人が何を望んで優しくしてきているのかを想像したし
愛してほしいと望むときは、何を差し出せばいいのかを考えてた

欲や偽善に囲まれていると思っていた私には
生きているこの世界自体が怖かった

「愛される」ことも「優しさ」をもらうことも
その裏にある思いを考えてしまうことが怖かった


過去にその正しい形と思われるものを教えてくれようとした人が1人いた
彼は全力で私に向き合っていてくれたのだろうと、今では思える

でも当時の私は、それすらも素直に受け取れず
彼の愛を確認するために、彼を苦しめた
それでも彼は私を大事にしてくれて
私はそれが苦しかった

受け取り方を知らなかったから

応え方を知らなかったから

ただただ、彼を傷つけてしまった


何年も何年も時は過ぎてきてしまったけど
私は今もまだ知らない

対価が必要でないことは学んだけれど
無条件に受け止めて、受け入れてもらうことに戸惑いがある

対価でつなぎ止めておいたものではなくて
無条件に受け入れたものをつなぎ止めておくものは何?

何もなくてもいいの?
何もない不安はどうすればいいの?

たくさんの「優しさ」にふれても
たくさんの「優しさ」をもらっても

どう応えたらいいのかわからない



傷つけることはもうあってはならないことだから

自分と向き合っていかなければならないんだろう



たくさんの「想い」の中に包まれて
「優しさ」にふれて
「愛」を感じて

素直に受け止められるように

素直に受け入れられるように



私が私を受け入れよう



そうすればきっと
「愛」をつなぎ止めておく対価も必要ないんだと知ることができるだろう


そこでやっと私は
「愛」を知ることができるのかもしれない



たくさんの優しさにふれて



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