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【エッセイ】noteで書くということ(忘れられない何でもないような景色をとらえたい)

自己表現をせずにはいられなくて、noteを始めたけれど、それは諸刃の剣だったのかもしれない。

感性を無視して生活をしていた。特にコロナの時期は仕事に忙殺されて、感情と向き合うことをしなくなっていた。だから、noteで詩を書き始めたことで、景色が違って見えるようになったことも、昔のように自分の感情をありありと上手く捉えることができるようになったのも、すごく嬉しかった。でもその反面、ここで書くということは自分の脆弱さを曝け出すことにもなりかねない。

どれだけ感情を外から眺めて書こうとしたところで、過去を思い出して描写してた頃と、現在を書き始めてしまった今とでは、書くことの意味合いが大きく変わってきたように思う。

書き始めた頃は、全く読者がいなくて、それが少し寂しくて。だから読者をつけるには少しは自分を出さないといけないのだと思って、今の自分自身が感じていることも題材にして書くようになった。

それで繋がれた関係もあって、すごく大切な友人もできた。それはすごく良かったこと。でも同時に思ったことを書くのが難しいと感じられるときも増えてきた。

閲覧者0みたいな、誰が見ているかも分からない場所で細々と書いていたときの方が単純に書くことだけを楽しんでいたような気もする。でもやっぱり見つけてもらうと嬉しいから、本当に無いものねだりだ(あっ今だってそんなに読者は多くないんですけどね笑)。

モノを書いて公表するって、本当に責任の重い営為の一つだと思う。いや、公表することだけでなくて、誰か1人のために書いて宛てた手紙ですらそうなのかもしれない。放った瞬間から、その言葉に宿る力が相手にどう届いて、それと同時に自己を曝け出して脆弱になった状態でその言葉がどう受け止められることになるのか、その結果の全てを自分で受け止めないといけないのだから。

時にはとてつもない痛みを伴う。拒絶されることだってある。それでも表現せずにはいられないのはどうしてなのだろう。何が私を突き動かすのだろう。

根底に知りたい、知って欲しいという欲求が溢れているからなのかもしれない。

前に、人が好きだと書いたことがある。

理性も大事だけれど、でもどうしようもないくらいに弱くて愚かで人間臭い部分に愛を感じてしまったりする。

逆境に負けないで戦おうとする姿や自分の力で立ちあがろうとする姿、希望を捨てずに前に進んでいく力のある人に出会うと、どうしようもなく心が動かされる。美しいって本当に思うから。

矛盾を愛してもいる。

だから、何度傷ついても、馬鹿のひとつ覚えみたいに、出会えた特別な人たちには、好きだって伝えてしまうのだろうな。

痛みのあまり、そうやって誰かに伝える勇気を失くさないでいたい。ありのままの自分で 自分を表現する勇気を持ち続けたい。

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