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【エッセイ】姓とアイデンティティ?

つい先日、友だちの結婚祝いにバーミキュラのフライパンを買って贈った。
なにも考えずに、旦那さんの苗字に友達の名前を書いて送った。

友だちから「ありがとう」というメッセージとともに、「私の姓は、昔のままだよ」って返事がきた。

そこではっとさせられた。
そうそう。結婚したからって、女性が姓を変えないといけないわけではない。法的には、平等。どちらの姓を選んでもいい。

最近、私の周りでは、旦那さんの方が姓を変えてくれたというカップルが増えている。

結婚するときに、「どっちの姓にする?」という会話が普通にある時点で羨ましいなって思った。私のときは、当然のように、私が夫の姓に変えた。

友人にそういうと、「okonaとか、そういう話しめっちゃしそうなのに。お相手と話し合わなかったの?」と言われて、あの頃の自分は、なんだか随分と「普通」でいるということにこだわっていたのかもしれないと気づかされる。あるいは、夫にそんなことを話してどうなるの?結果がみえてるから、話さない。その方が楽だから。そんな感じだったような気もする。今から振り返ると、どうしようもないくらいに夫を信用していなかったんだなと思う。

そういえば、昔、京印章の実印を作るとき、父が、兄は姓で作るのに対して、私には、「お前は、名前で作っとけ」と言った。いずれ、私は、自分の姓を失う立場にあるのだと言われたも同然で、それが普通なんだと思いつつも、それがなんだかすごく記憶に残っている。

ドウシテ私はいまの姓で作れないの?

結局、いまこの状況になって、やっぱり名前で実印を作っておいてよかった、とは思う。

*****

結婚したばかりの頃、病院で名前を呼ばれたとき、うまく反応ができなかった。何度も呼ばれ、ようやく自分が呼ばれていることに気が付いた。
それが自分の名前だという意識がなかったのだ。しかもなりたい苗字でもなかった。姓が変わることで、夫と一蓮托生になるような感覚もなかった。
むしろその名前が少し恥ずかしい。組合せが恥ずかしい。銀行口座やカードの名義を変えたり、ちょっとしかないけれど金融資産の名義を変更したり、職場に氏名変更を届けたり、旧姓使用の願いを出したり…

仕事では、旧姓利用をしているから、海外の滞在先で職場関係の各種証明書を作るときには旧姓を使ったりすることがあった。しかし、VISAを取得したりする際に、法的に正式な名前とは違うから、私が私であると確認できない恐れがある。だから、身分証明書として、パスポートは、旧姓併記のものを作った。

名前が違うって意外と面倒くさいんですよ!

そして、本当に、自己同一性を証明できない場合がでてくるのだ。
それは私でしかないのに!私はその書類を受け取れないのか、みたいな笑

29年も使用してきた姓を失って、はじめて、あぁ名前の半分を失うって、確かに人格権侵害だわって思った。だって、さっきも言った通り自分のなかの自己同一性が奪われるんだから。

だから、どちらの姓にしてもいいですよっていうのは、平等だから憲法違反ではないというのは、人格権侵害だという主張に対しては、なんの回答にもなっていない。だって、結局は、どちらかの姓を選択しないとダメなわけで、どちらかが自分の名前の半分を失うことになるのだから。

例えば、20歳とかで嫁いでた頃なら、きっとそんなに違和感はなかったのかもしれない。でも、もともとの自分の姓で働いて、経済基盤も作って、20代後半、30代になって、縁があって結婚するとなったときに、姓を変えるのは、昔の20代の女性の姓の喪失とは、たぶんだけど、持つ意味あいがまったく違う。もちろん、その頃には、自己資産もあるのだから、それらの名義をすべて変更するのもかなりの手間だ。

こういうことを言うと、口うるさい女だとか言われることがある。やれフェミだなんだと。そうじゃなくて、選択的夫婦別姓の選択肢がないということが、女性にとっても男性にとっても、不便な時代がきている、ということ。

同様に、同性愛者に婚姻制度が用意されていないことも、その選択肢を封じているという意味で、優しくない。マイノリティに属する人たちにも選択肢を。それが多様性を尊重する社会ではないのか。しかし、その少数派のために、法制度を整えるコストを考えるとなかなかね、っていう分かったようなフリをした回答が返ってくるのだろう。

あぁ人間の尊厳がコストに負ける…
うんうん。経済的合理性も大事なのはよく分かる。
だけど、そういうことを言っている人たちが、さも賢い人たちのように扱われるのだとしたら、法の意味なんかないって思ってしまう。

何より、自民党の公式見解としての家族観が、どうしてこんなにも実際の家族とかけ離れているのか不思議でならない。現実的に政権を任せることができる政党が一党しか存在していない日本において、その政党が家族観を実際にいまを生きていて、苦しんでいる市民に合わせようとしないのはなぜなのかが、不思議を通りこして、怖い。

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