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謝らない西洋人、謝り過ぎる日本人

オランダに来て「謝られる」ことが減った。
こちらが日本での感覚で謝ると、いぶかしがられる。
だから、なるべく謝り過ぎないように意識している。

以前、娘の先生がコロナに感染し、休校になった。
その時の連絡文はとても簡潔だった。

「先生の陽性が発覚し、水曜までは休校が決定しました。再開するかはまた連絡します。」

うーん。日本人の感覚では、「保護者の皆様にご迷惑をおかけし、申し訳ありません。」の一言がありそうだ

しかし、そんな言葉はどこにも見当たらない。

別に、謝って欲しいわけではない。無意識に謝罪を期待した私は「謝られる事」に馴れきっていたのだろう。

オランダの生活では、こういった些細な違いを実感する。

日本では、とにかく謝っていた。

会社員時代は、有給を取るときも、体の不調で休むときも、申し訳ない気持ちが少なからずあった。

一方、オランダ人は、これでもか(!)というぐらい謝らない。

謝られる事があれば、「へ~そこで謝るのか〜」と分析をしたくなってしまうほど。

先ほどの例だと、先生のコロナ感染で休校になり、それに対するお詫びの言葉はなかったが、”1つだけ”全体謝罪があった。

学校再開の連絡がうまく保護者に伝わらず、不要に学校を休ませた保護者がいた事に対するものであった。

そして、他にも同じ目にあった親がいたら、補講するので連絡して欲しい、とのこと。

コロナ感染、のような「誰にでも起こり得ること」には謝らない。受け手も謝られる事を期待していない。

しかし、自分側の「不手際」で迷惑をかけた場合は謝罪し(できるなら)補填する、というのがオランダ流のようだ。

仕事の現場では、有給や病での休暇でも謝ることは当然ない。

実害をかけてしまったときにだけ個別に謝る、といったところだろうか。実に合理的だ

■謝らない欧米選手とそのワケ

先日、北京オリンピックに出場中のスキージャンプの高梨沙羅選手が違反を喰らい、SNSでお詫びをしたことが報道されていた。

海外のメディアは、他の欧州選手と「対比」させてこの謝罪を取り上げた。

というのも違反判定のヨーロッパ勢は、謝るなんてもってのほか。頑として認めず、抗議し続けていた。

スポーツの世界ではよく見かける構図だ。感情的に抗議を続ける欧米選手と、静かに受け入れる日本選手。

「この欧米の強気な姿勢は、一体どこから来るのだろうか?」

大きな理由の1つに、訴訟文化があるようだ。訴訟といえばアメリカのイメージが強いが、欧州も実は強い。

欧州の多くの国で訴訟にかかる費用が少ないことから、誰でも彼でも訴訟する。そんな中「I am sorry」と言えば、訴訟で不利になってしまう。

アメリカには「Sorry」と言っても訴訟で不利にならない、ということを”わざわざ”規定している法律があるほどだ。

そんな背景があってか、欧米では安易に謝らない社会になっている。
アスリートも詫びたら、そこでおしまいだ。
彼らがプライドが高いわけでも、無慈悲というわけでもないようだ。

■日本のお仲間、カナダ

日本人は、世界で一番「申し訳ない」を唱える人達のような気もする。しかし、調べていたら地球の裏側にも謝罪族がいるらしい。
カナダ人だ。

カナダ人だけは、日本人の謝罪に、全く違和感を感じないそうだ。

こんな面白いエピソードがある。

とあるオランダ人が、明らかな自分の不注意でカナダ人にぶつかった。相手もそれを分かっていながら、即座に謝ってきたという。

何度も何度も同じような出来事に遭遇し、このオランダ人は驚嘆(!)したそうだ。(もしぶつかった相手がオランダ人だったなら最低3回は詫びないと許されない状況なのに...)

私は「謝らない」オランダ人にびっくりするが、オランダ人も「謝る」カナダ(外国)人に動揺している

謝罪は、意外と異文化を体現していて、奥が深そうだ。

■おわりに

いまの日本では、謝罪が文化などと言われる。しかし、おそらく多くの人も感じているように、謝罪の多くが、本当に必要なのかは疑問である。

私も謝り過ぎる日本人を抜け出して、どんな場面でも「ほどよく」謝れる人でありたいものだ。

おしまい。

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