秋空
11月6日、午後5時12分。
田舎道を通るバスの窓際からぼうっと見上げる空が雲ひとつなく、果てしない。
鉄塔と、鉄塔同士をつなぐ無機質でまっすぐな電線が、やけに映える。インスタ映えのこの世の中、こんなにも最高な背景があるならもっと違うものが映える姿を目に入れたかったと、皮肉かのように思う。
空を広大なキャンバスと呼ぶには、空に失礼じゃないか。こんなに落ち度のないグラデーションは、どんな技術を手に入れても人間には決して再現できないだろう。キャンバスよりも、心と言うのはどうだろう。いや、人間の何かで例えようとするのがもう失礼じゃないか。訴える目も口も声もないのに、こんなに哀愁を感じ、涙すら浮かべようとしてくる空は、どうやって造られるのか。自分の思いを馳せるのはもっと失礼だろう。私たちが生まれる何億年も遥か昔から全てを見てきたのだから。
午後6時1分、バスを降りて駅から歩く道。もうじんわりとあたたかい陽の光はとっくに消えている。少し見上げると、どれだけ追いかけても終着点にはたどり着けなくて、黒ではないが限りなく黒に近い青のような空が広がる。その中に街の不規則な光が偶然生んだ、いい塩梅のライトアップで浮かぶイチョウの木の葉。赤色の紅葉ばかりを見たいと思っていたけれど、これはこれでいいかもしれない。けれど1時間前に見た映える鉄塔の方が印象強いことに矛盾を感じて、腑に落ちない気分にさせる。
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