父は自分が死んだと思ってない プロローグ
ここまで4つの投稿、2つのつぶやき
そして1つ音声をnoteを通して投稿してきました
やっとと言っていいのか、私が書き残したいことの準備が整ったと思っています
が、本編を書く前にプロローグを
少し挟ませてください
また、注文が多く申し訳ありません読者の皆さん
私のnote初稿
"父は自分が死んだと思っていない"
1度目を通して頂けると幸いです
父は自分が死んだと思ってない プロローグ
はじめます
2022年7月9日
私の父はくも膜下出血で死んだ
私は死に目に会えなかった
連絡を貰った頃にはもう
心肺停止だった
何から書き始めようと考えたが、
ここには正直に全て残す
そう決めた
2021年冬年明け
2021年から2022年に変わる時期、まさに年明けの時期
私は冬休みを利用して父の故郷、祖父の家がある福岡に行き
祖父、祖母、父と私の4人で九州旅行をした。
その時から若干祖父のボケの症状で歩くスピードが以前と比較してゆっくりになったなぁと
86歳。
流石に老いていた
今までが元気過ぎたなと思うほど
毎日欠かさず辛い日本酒を飲んでは
『酒の飲めんくなったらおわりじゃ』
と、言っていた。私もお酒が飲めてる間は死なねぇなおじいちゃん
と安堵の気持ちでいた
2022年5月上旬
父は祖父を心配して
GW期間全てを使いまた福岡に
祖父の様子を見に行った
GW期間の祖父の様子は
日頃から食が細いのは変わらず
ただ身長が少し縮んだように見えたり
流石に歩幅も狭くなったり
高齢化にともなった体の変化があったくらいかなと
父から報告を受けた
様態が変わったのは6月中旬だった
2022年6月中旬
祖父がお腹の痛みが引かないと祖母に相談
自分で服が着れないくらいの痛みがあるといい
すぐに病院へ向かった
その連絡があった6月17日
父はすぐ福岡に向かうことを決めた
病院に行った祖父はすぐに集中治療室に入り
病院に行った際にした検査の結果が分かるまで1週間ほどかかるとのことだった
体重も50キロをきって、歩くのも一苦労な状態になってしまっていた
2022年6月21日
私の誕生日
父は家族のグループラインに
と残して福岡に向かった
私も仕事が忙しかったり、なかなか家族全員が家で集まれる時間がなく毎年していた誕生日会はしなかった。
2022年6月26日
急遽日帰りで福岡に行く準備をした
祖父の容態がより悪化し
長くても3-4か月だと宣告された
その時私は働いていたし、弟も受験生
これからまた都合が合ってお見舞いに行ける時期が読めなかったため
即決で福岡行きが決まった
福岡に到着してすぐ祖父がいる病院へ向かった
コロナの対策もあって
今までしたこともなかったフェイスシールドや
紙エプロンを着用し病室に向かった
病室に入る前感じたのは
おじいちゃんが中に居るはずなのに
やけに静かで、人がいる部屋に今から入る
雰囲気がはないことだけは感じ取れた
病室に入る
そこにいたのは私が知っているおじいちゃんじゃなかった
ベットに横たわり、病院で支給されたパジャマを着るもサイズが合っていない
合っていないんじゃなくて、瘦せ細ったおじいちゃんの体には
不格好だった。
何とか声を出そうと頑張ってくれるのが伝わる
でも思うように動かない自分の体をさするおじいちゃん
私の顔を見て、しわしわな顔にはめられた酸素マスクから
かすかに見える笑顔
会えてうれしいはずなのに、止まらない涙
痩せ細った体がもう見てわかるくらい
あんなに笑うときに大きな口を開けて
ガハハと笑ってくれてたおじいちゃんは
やせ細っていて
知ってるおじいちゃんはもうそこにいなかった
少ない手の力を振り絞ってペンを持ち
私に伝えようとしてくれた言葉
もしかしたらこれが最後になるのかもしれない
いや、そんなわけが無い
そう思えば思うほど、願えば願うほど
祖父は今にも消えてしまいそうで
いなくなってしまいそうな表情と体だった
人が書いた字を見て泣いたのは初めてだった
ない力を振り絞り
祖母と父とコミュニケーションを取っていた祖父
私と弟がお見舞いに行った時も
ボードに挟んだ紙を私が持って
おじいちゃんがない力でボールペンを持って
お話しをした
私が今日何をしていたか聞くと
「ベットから 一歩も 出ていない」
と答えてくれた
大学受験を控える弟に対して
「どこ 大学 受験する?」
と、少し笑みを浮かべながら会話を試みようとしてくれた
そしておじいちゃんはまた微笑んで
また痛々しくお腹をさすり
またねと
病室を出る私たちに手を振った
2022年7月3日
5日が祖父の87歳の誕生日だった
ただ何かあった時の為にと、弟と誕生日撮影し
動画をLINEを通して送った
私は
『また会いに行くね』
と言って動画を切った
2022年7月5日 祖父 87歳誕生日
祖父は誕生日を迎えることができた。
家族全員が嬉しかったのはもちろんだったが
その頃の祖父はもう
数日前に私たちと交わしていた方法でのコミュニケーションを取るのも難しくなっており
日に日に弱っていく一方だった
2022年7月6日 16:39 祖父 永眠
私は勤務中だった
18時からの休憩時間になり
母からのラインを開き、亡くなったのを知った
誕生日を迎えて
おじいちゃんは安心したのかな
ただ
嫌な予感はしていた
休憩に入る数時間前、祖父が息を引き取る前の16:30頃
私は勤務中突然耳鳴りがして、数秒間だけ
音が聞こえなくなった
今思えばおじいちゃんからのなにか
メッセージだったのかもしれない
私に何を伝えようとしていたのかな。
2022年7月7日 午前
祖父のお通夜
突然の出来事だったので勤務先には了承を得て
私が先に福岡へ向かった
父が空港まで車で迎えに来てくれた
その時は思わなかったけど
お互い自分の父親 祖父の死を受け入れられてない状況
カラ元気で車の中で楽しく、大笑いをして葬儀場に向かったのを覚えてる
私も父に会えてなかった数週間であったことを
話したくて仕方なかったんだと思う
なんてたって私はおしゃべりさんだから
2022年7月7日 午後
葬儀場に到着
そこにいたのはもう痩せ細く
しわしわな顔をした
棺桶に入ったおじいちゃんだった
6月最後お見舞いをした時よりももっともっと
痩せ細くなっていて、私が知っているおじいちゃんの顔とは
違う顔に見えてしまった
18時から始まったお通夜
人生で初めて参加した
そして初めて見た
自分の父が嗚咽を漏らしながら大粒の涙を流して
泣いているところを
お父さんってこんな風に泣いて、涙を流すんだ
そしてこのお通夜で
"もし私のお父さんが死んだらどうしよう。"
そんな不安感と考えたことの無い感情
が押し寄せ
その考えは
まだずっと先のことであろうと思ってた
ただただその時は
わけも分からない状況
涙だけは止まらなかった
2022年7月8日 午前
7日の夜遅くに母と弟も福岡に到着し
8日、葬儀の朝を迎えた
祖父の葬儀は家族葬で済ませた
数時間前のお通夜同様、涙は止まらず
もっとおじいちゃんと美味しいお酒が飲みたかった
福岡に来て、もっとおじいちゃんと過ごせればよかった
叶わない願いばかりが頭よよぎっていく
葬儀が終わり祖父の棺桶にお花をたっくさん敷き詰めた
ほんの少しだけ 少しだけ
微笑んだ気がして
また涙が止まらなかった
霊柩車には祖母、父の兄、父の3人が遺骨と
遺影を持って乗っていった
それを追いかけるかのように私と親戚は
火葬場へ向かった
2022年7月8日 午後
火葬場に到着
炉前で最後のお別れの時間
涙も
鼻水も
こんなに出るのかってくらい
そのくらい泣いた
祖母が祖父にかける言葉
一つ一つが
重く、そして共感と悲しみで溢れた
"おじいちゃん、お空で見守っててね"
そう言って
棺桶を全員で閉じた
炉の火の点火ボタンは祖母と父の兄の長男が押した
私はもう
こんな経験は
当分したくない
そう強く
強く
頭の中で思い
そして
願った
父は自分が死んだと思ってない 本編① ー信じたくないー に続く
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