見出し画像

わたしのまんま 【#創作大賞#オールカテゴリ部門】

そのまんま

「写真が上手な人」、「文章が上手な人」そのどちらでもない。
「その時を、自分の言葉と世界で切り取れる人」でいつもありたい。そのまんまで、嘘のないように。




ちくっと あたたかく 

桜が満開の頃、桜の名所と呼ばれるところに行ったことがない。まだ蕾の頃か、ちょうど散って、桜の絨毯が綺麗な頃にいつも行く。たまたま行くタイミングがその頃になるのだけど、その前後の桜たちを見ても満開の頃を想像できる気がする。
きっとここに家族が集まって写真を撮るのかな。この桜は小さい子どもが引っ張ったかも。桜から連想できるのはそんなあたたかいこと。

友達と桜吹雪の頃、桜の名所と呼ばれるところに行ったことがある。木に残っている子たちも、今日でお別れかもしれない、そんな日。
大雨みたいに桜がどんどん降ってきて、雪みたいにどんどん地面に積もっていく。

大学生くらいの子達が桜に吹かれながら、きゃっきゃと話していた。何を話してるのかは分からないけど、楽しそうなことは分かる。1年生かな?自分が1年生の時はどんなんだっただろうか。なんとなく、学生時代が懐かしく思えた。

大学1年生、地元を離れて隣の県に進学。高校の後半からこの頃までふわっとした記憶しかない。あんまり思い出したくないのかも。でも、入学式の記憶は、くっきりとした思い出。出来立てほやほやの友達とよく分からない彫刻の前で写真を撮って、たしかその後ファミリーレストランに行った。
"ど田舎"みたいなところから出てきた私は、その子達と今まで暮らしてきた環境が違いすぎて、その時ちょっと辛くなった。
切ない気持ちとはちょっと違う、ちくっと刺されたような辛い感じ。

桜の時期。切ない気持ちじゃなくて、このちくっとした気持ちになる。でもその棘っぽいものは、その子たちに会うと取れるからその気持ちも悪くないと思ってる。

大学生くらいの桜吹雪の中の子たちにも、切なくてちくっとして、でもあったかくなる出会いがたくさんありますように。




花に囲まれて深呼吸はむずかしい

「お花畑」というワードが好き。メルヘンでとにかく明るくて、意地悪な言葉にも使われがちだけど、強さもあると思う。実際お花畑を見に行くと、自分の生きる力も吸われるんじゃないか、というくらいどんどん生きている。深呼吸なんかしたら、酸欠になりそうなくらい、強い。

お花みたいな人になりたい。どこかのドラマで聞いたことあるようなフレーズだけど、なりたいのは本当。「向日葵みたいな人」とか「百合のような人」とか、花の名前を実際に使って人を表したりする。
私は花束丸ごと、それぞれが良い。主役の花があって、似た色の淡い花があって、引き立てるようなグリーンがあって。それぞれになりたいと思うくらい欲張りで、どれにもなれなくて中途半端になりがち。

まだ、お花畑の中から選ばれて花束の中には入れないけど、ちょっと酸欠な、ちょっと大変なお花畑で今は強くなる時、かもね。




食べたい 食べたい

とにかく食べたい時がいつも、突然、やってくるから毎度困る。そんな時は何を食べても美味しくて、なんでも食べて、後で後悔する「わざわざ食べなくてもよかったなあ」。
「何か食べたい」と思う回数が周りの人より多いようで、「また食べるの?!」とよく驚かれる。目の前に美味しそうなものがあるのに、我慢なんて辛い。でも、健康のために食べ過ぎないのが良いのも分かっている、当たり前だけど。みんなはどうやって我慢しているのだろうか。我慢しなくても、特に食べたいと思わないのだろうか。

食が好きなのは昔から。小さい頃やっていた裏技を紹介する番組で、ふわふわのオムレツを作るやり方を見てから毎週土曜日の朝は、自分で朝ごはんにオムレツを作っていた。楽しいし、ふわふわになるのがおもしろい。そして食べると美味しい。自分で作ったからか、"自画自賛"という隠し味も混じって、美味しくも感じていた。
これが小学生の頃で、高校生で進路を決める際「そういえば食べること好きだったなあ」と忘れていたことを思い出して、管理栄養士になろうと考えた。

他にもやりたいことはたくさんあって、医療分野にも興味があったりもした。でも衣食住に関わることがしたいと、なんとなく頭のどこかでは思っていて、食で医療分野にも関わることができる管理栄養士を目指すことに。

食べたい、食べたいという気持ちから、自分の進路を決めてよかったのかなと思ったりもしたけど、就職してから「食べることはすごいのかもしれない」と感じたことが何度もあった。
赤ちゃんが初めて食べる離乳食。もりもり食べて大きくなる子供たち。安全に食べられるものを美味しく食べたいおじいさん、おばあさん。そして、冷たい氷水を美味しそうに口に含む最期の方。
心が辛くなることもあったけど、仕事を転々としていろんな人たちに関わったことで、食べることはやっぱりすごいと感じた。どんな形でも、食べないと生きていけない。どうせなら、美味しく食べよう。





その時から、

時々、何でもかんでもリセットしたい時が来る。それまでのやってきたこととか、言ってきた事とか全部無かったことにできたらなあ、と思う時がある。
暗く落ち込んでいる気分っていうわけじゃなくて、そうかもしれないけど、それだけじゃない。

私はとことん、ひどいくらいの「完璧主義者」。「完璧主義者」で「有言不実行」。準備が完璧じゃないとなかなかスタートしようとしないし、そのスタート地点まで辿り着いたのは何回くらいかな、その前に引き返しがち。
やりたいことはたくさんあるのに、そのことを声に出す時は「〇〇だったらなあ」とやらない理由も付いてくる。自分でやる機会を作るんじゃなく、その時"を"ただ待っている。なかなかその時が来ないから、一度0に行きたくなる。1に行ったのに100まで行けなかったのが、なんとなく、恥ずかしく思っているのかもしれない。

でも、きっと何かをやり始めるのは完璧じゃなくていいし、中途半端からでもいい。だんだん目指す100に近づいてからきっかけを聞かれた時に、「あの時からだなあ」と気づくくらい、無我夢中になればいい。その時のことは忘れるくらいがちょうど良い。

どん底みたいに暗い時も、とりあえず"その時"を何度も重ねて、明るいところを探す。そこまで行ったら、そこから始められるはず。

とりあえず、友達と美味しいものでも食べてから。




もこもこわくわく

雪が降るみたいに、わくわくすることがどんどん降りてきて、積もって、溶けちゃって、けどまた次の冬には積もるみたいにする。そうすることに、今、決めた。

自分はその雪を降らすこともできるし、大切に積もらせることもできる。それを決めることができる。もこもこの中が歩きづらかったら、溶かして綺麗に流してしまってもいい。

わくわくすることに押しつぶされないように、わくわくすることでいっぱいの毎日を。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?