見出し画像

今年の課題図書で気になった本


図書館司書的夏の風物詩といえば、読書感想文コンクール

今年の課題図書のラインナップはこちら。


絵本や児童文学は見覚えのあるものもいくつかあるけれど、ノンフィクションものに関しては初めましての本ばかりだ。

課題図書や、都道府県独自の指定図書に選定された本は必ず購入するようにしている図書館が多い。うちもそうである。

課題図書は7月を過ぎたあたりから一気に予約が入り始める。
そのため私の勤務する館では、夏休み期間中、課題図書は貸出期間が1週間(通常は2週間)で延長も不可となる。

たまに「一週間じゃ読めないんですけど!」とお怒りになる親御さんもおられるが、その気持ちは非常によく分かる。

しかし図書館の本はあくまでも"みんなの本"なので、そういうときはお子さんのためにも書店で購入してあげたほうがよろしいかと…
とは決して口には出さない。


私は読書感想文を書く際、一度も課題図書を選んだことがない。
課題図書か自由図書かを選べるので、いつも自由図書で自分が好きな本の感想文を書いていた。

読書は好きだけれど、感想文を書く作業はどうも億劫で、せめて自分が好きな本で書かないとめげてしまいそうだった。

だから課題図書を選んで書ける人はすごい。
今でもそう思う。

これまでの分を取り返すように、というわけではないけれど、こうして大人になった今、毎年課題図書に選ばれた本にはなるべく目を通すようにしている。

まだ貸出が落ち着いている今のうちに、まずはノンフィクション系の中で気になったものを一冊借りてみた。

それがこちらの本。

『海よ光れ!3・11被災者を励ました学校新聞』
田沢五月/文(国土社)


東日本大震災で大きな被害を受けた、岩手県山田町。この町にある大沢小学校の生徒たちの実話である。


震災を受けて避難所となった大沢小。

家族と離れ離れになった子も大勢いる。余震が続くなか、停電で暗さと寒さに震えた夜。
どんなに不安だっただろう。

そんな状況下で、「自分たちに何かできることはないか」そう考え行動を起こし始める大沢小の子どもたち。

トイレ掃除、大沢の人たちを励ますポスターづくり、小さい子の遊び相手、お年寄りへの肩もみ隊……

そして新聞づくり。



大沢小学校児童会執行部がつくる新聞は、岩手県小・中学校新聞コンクールで毎年連続で最優秀賞を受賞。

さらに「全国小・中学校・PTA新聞コンクール」では毎年上位入選を果たし、2010年には内閣総理大臣賞で表彰されて全国一位にも選ばれている。

大震災の発生は、全国小・中学校・PTA新聞コンクールの表彰式から帰ってきた6日後のこと。

毎日小学生新聞には、「表彰式を終えて岩手に戻ったばかりの大沢小学校のみなさんの消息が、まだわからない」と書かれていたそうだ。

そして全国から新聞社あてに、大沢小の子どもたちへの手紙が届いたという。
その数なんと2101通。

やさしさあふれるたくさんの手紙に後押しされた子どもたち。

避難所の人たちを励ましたり、遠くからボランティアに来てくれている人たちに感謝を伝えたりするための手段。
それが新聞だったのである。


そのときの実際の新聞が、本書に掲載されている。

自分たちを支えてくれている人たちへの感謝や被災者への励ましのメッセージが力強い字で書かれている。
裏面では全国から届いた手紙の紹介も。

最後に、本書の出版記念としてつくられた、大沢小学校新聞の号外が載っている。

なんとこちらの号外、当時の大沢小児童会執行部メンバーたちによって新たにつくられたものである。

大沢小の子どもたちのその後が書かれていて読み応えのある内容だった。

この新聞がより多くの人の元へ届くことを願うばかりである。





こちらは課題図書ではないが、あわせて紹介したい震災関連の一冊。

『いぬとふるさと』鈴木邦弘/絵・文(旬報社)



ぱっと見たところ、タイトルや表紙からは震災についての本だと分からない。
実際私は、ほのぼの系の絵本かと思って手に取った。

読んだあとで表紙の『原子力明るい未来のエネルギー』の意味深さに気づかされる。


東日本大震災を受け、埼玉に避難してきた犬が本書の主人公。

犬目線で、福島県双葉町の現在を見ていくシンプルな構成の絵本だけれど、どこかほっこりとする印象のイラストとは対照的に、震災から数年経った町の様子はリアルに感じられる。


ある日、飼い主のおじさんと一緒に車に乗って出かけることに。

なつかしい潮のかおり。
ここは犬の故郷である双葉町。
久しぶりにふるさとに帰ってきたのだ。

潮のかおりや潮かぜになつかしさを感じたのも束の間、町の様子がおかしいことに気づく。

人がいない。会うたびに吠えたあいつもいない。代わりに町はイノシシやサルのすみかになっていた。

そしてあたり一帯には黒い袋の山。
おじさんの持っているハコがピーピーと鳴っている。

それでもこの道を進めば広い田んぼがある。
なつかしい場所。

犬は一目散に駆け出したが、そこにあったのは広い田んぼではなかった。

そこには一面に「板」が広がっていた。


いまだ復興が進んでいない地で、こうして新たな発電施設が建設されている。ここで作られた電気は首都圏へと送られるのだという。

恥ずかしながら、私はこの絵本を読んで初めてそのことを知った。

震災から日が経つにつれ被災地支援や復興の予算が削られている。
にもかかわらず、被災地は復興の道筋が見えないまま、搾取され続けている。

震災前、私たちの暮らしは福島の原発で作られた電気に支えられていた。
そして震災後、なおもこうして福島の地で作られた電力によって支えられている。


次に引用する、作者の鈴木さんのあとがきを読んでもらいたい。

震災から4年が過ぎた2015年3月、僕は初めて福島県浜通りに足を運んだ。

「一度は見ておこう」。そんな軽い気持ちで足を運んだ感想は、「4年経ってもまだこれか」だった。

報道では「復興」ばかりが盛んに叫ばれ、2020年東京五輪も「アンダーコントロール」で招致されたが、実際には「復興」など遅々として進んでいなかった。

国道6号線から見える放射性物質によって大量に汚染された帰還困難区域は、まさに「放置」されたままで、「復興」の欠片もなかった。

浜通りで目にしたものを誰かに伝えていかなければ。そう考えたとき、自分にできる手段は絵を描くことだった。

『いぬとふるさと』鈴木邦弘/絵・文(旬報社)より



そんななか、私にできることは何だろう。
そうは言っても、自分ひとりで被災地のためにできることなんてあるのだろうか。

震災の情報に触れるたびにそう思ってしまう。

けれど本書から教えてもらったことがある。
それは他人事ではなく自分事として考えることの大切さだ。

東日本大震災のことを忘れないこと。
いま現在、被災地はどうなっているのか。

私がいますぐにできることといえば、関心を持ち続けることではないだろうか。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?