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【歌謡ノベルズ】恍惚のブルース







幾つになっても女なんてつまらない。こんな男、愛しちゃいけないなんて思うから余計、想い募って哀しくなって。だけど恋なきゃ生きていけない。女の命はやっぱり、恋だから。
今日はあっちへふらふら行ったと思ったら、行ったきりなんの音沙汰もナシ。そのうち戻ってくるんだろうと思いながらも、本当に戻ってくるのか不安でたまらない。今度はこっちへふらふらと、帰ってきたと思ったらもう歩きながら寝ちまうほどに雪崩込んでそのまま朝まで。夜明けと共に起き出して、また何処かへお務め。起き抜けに一言ぶっきらぼうでも、
「また今夜。」
なんて言われたらそれでいい。ちょっとでもお天道様が顔隠し、雨がパラッと振りでもしようもんなら、あー、アタシの気持ち、よく知ってるねぇ、なんて乾いた涙がはらりと流れて、そこからはもう留め度がなくなるんだよねぇ。
そう、もうこれは恋に溺れちゃってる。気持ちもココロも流されてるねぇ。だって二人で買った地元のお酒を、寂しく一人でちびちびやってると、あの日のことばかりはっきり思い出しちゃうんだよねぇ。えぇ、本とはあんまり喋りたくはないんだけどね。

死ぬほど楽しい夢を見た、っていうのかしら。蔵の街のね、炎天下人気のまばらな通りをぐーっと上って行くとふっと曲がりたくなる横丁があって。昔、ケンさんが出てる『鬼畜』って映画があったのよね。ケンさんて言ってもこの川越に住んでるダジャレ好きなケンさんじゃなくて、緒方の拳さん。川越の、昔こんなにキレイになる前のごちゃっとした裏通りで印刷屋かなんかやってた話しでね、岩下志麻が演るキリっとした奥さんのとこに転がり込んでいた所へ、ちょっと前、東武東上線の奥の方、男衾(おぶすま)辺りに放ったらかしてきた別の女、小川真由美が男の子連れて乗り込んで来てさ、修羅場になるのよ。川越市の駅に降り立ったり、喜多院の脇の小さい公園で遊ばせたりするシーンが結構懐かしくってね。最後は東京タワーに子供置いたまんまどろん。ヒドイ男だったけどね、あれだけ男前じゃね〜、おまけに結構締まり肉でさ、ちょっと優しくしちゃおうか、なんて気にもなったんだろうね。女って意外とそんな小さなことにぐっとココロが動かされちゃうモンでね。偶然を装った待ち合わせだったり、内気そうだって油断してると待ち構えてない時にぎゅっと手を握られたり、不意打ちに弱いんだろうねぇ。世間知らずの生娘になったような気分にさせられちゃってさ。
まぁ、角に酒屋があるからすぐにわかるヮ。鼻が利くっていうかね、どんな街でも昔ながらの酒屋、ってのはすぐ目に入って来るのよね。構えがまず違うから。よくよく店の女将さんに聞いてみると、
「えぇ、うちは明治になる前からここで。」なんて言われちゃって。こりゃもう特技としか言えないよねぇ。そこの通りを入るとね、もう400年位時を刻み続けてる江戸時代からの鐘楼が見えるのよ。これはねー、この街の目印だから。かねつき通りって言ったよね。遠くからだって見逃すことはないヮ。そうねぇ、どんな音だったか。一日4回位は軽く鳴ってたと思うけど。
あとはおぼろ〜。それより早く武蔵野うどんが食べたくて。一日20食だったかしら。そんなこと言われちゃ気が急くよねぇ。蒸し蒸しする梅雨の頃だったヮ。
そ、あとはおぼろ。いやだ、こんないい話そんな簡単に教えてやるもんか。
あぁ、今宵また忍びよる。ちびちびやりながらひとりで思い出して楽しんでるのよ。まるで恍惚のブルース聴くみたいにね。

硬派で内気で力持ち。アタシをこんなにしたあなた。やっぱり女は強い男が好きだよねぇ。吹いたら倒れるような優男より、いかつい強面のほうが情は熱いもんだよ。声も太くて驚くけれど、あれで耳元で囁かれた日にゃぁ、ぞくっとくすぐられるような低音の魅力だよねぇ。
コシの強いうどんとしっかり出汁の効いた肉汁で腹拵えが済んだ頃だったかしら。店の中は落ち着いて壁際に居たアタシはちょうどあのヒトが入って来たのが見えた。訳もなくピン、と来たヮ。女の勘、ってやつかしら。顔もよく知らないのに、これだっ。と思ったのよ。目でも合えばちょっと何とかできそうなものを、硬派なんだろうね。あたしなんか目にも入らないって素振りでさ。外はしとしと雨が降る。通り雨だったかしら。きらきら光ってブルーシルクの雨なんだよね。え、キレイに見え過ぎだって? そりゃ、飲んでたよ、カップ酒ですでに一杯。まぁ、そんなのは景気付けの一杯よ。口も上手くまわるってもんさ。でもね、やけにココロがしっとり濡れてたねぇ。
でもね、そんなに酔ってる場合じゃないよ。ここを逃しちゃ一生会うことなんてないかもしれない。
さ、どうやってわからせようか。あとはおぼろ〜。
いや、あとはおぼろにできない一本勝負。目にも入れない硬派なら、くすぐってやろうじゃないか、耳の奥を。アタシは昔、女剣士だったからね。いつだって教わって来たのは、「相手の隙を狙え。」面がダメなら小手狙い。何処に隙きを作ってるのかを見極めるんだよね。硬派なら硬派でお相手しようじゃないか。硬派と思わせ目もくれないけれど、そういう男は実は音に敏感だったりするもんで。僅かな情報も聞き逃さない特殊部隊か。
「お勘定、お願いします。」
ふと見ると目の前にあるスタンプカード。乗り鉄だった昔を思い出すよねぇ。スタンプラリーなんかを結構楽しんでやったもんだった。どうせ夏がくれば来る街のこと、ためる訳でもないけれどココロの印とっといて、あのヒト思い出すのも粋かしら。
「このカード、頂いてもよろしくて?」
とやや尋常でない大きめの声で問いただす。
その刹那、剣士にはあるまじき背後からの隙狙い攻撃。頬張るうどんも肉汁を震わせながら大きく振り返るあの男。いかつい身体に小さな瞳。いちかばちかで振り返らせて。食べるか、声か、神経どちらに集中させるか。まさに握りかけていた寿司を落とすかの如き狼狽ぶり...いや〜、これはやっぱり。
あとはおぼろ。あぁ、アタシはお勘定が済めばこのままここを立去って、今宵はまた忍び泣くひとり枕。そんな不器用な二人の出会い。ふっ、それもまた恍惚のブルースよ。

そんな恍惚のブルースを聴きながら飲む、「恍惚のカクテル」。フランス産の強いぶどう酒ブランデーに、トリスのライムジュースとヘルメスのオレンジキュラソーを入れれば出来上がり。帰って来ないあのヒトを待ちながら、ついつい手が出る何杯目?
トリスって言えば居たよねえ、ランタンとかパイタンとか言う名前で、特殊能力選手権のかなりなトップ。馬と牛が大好きなおじさまがさ、大阪の方に。馬と鹿じゃないかって? ん、奈良の鹿だったかしら、ついこないだ行ったっていうのは。ううん、延暦寺だったと思うから近江の牛でしょ、やっぱり。べろんと大きな舌が乗ったような近江牛握り、ぺろっといってたよねぇ。トリスと一緒がいいんだろうか。いや、やっぱり地酒と一緒。ほろっと甘口の「山桜」か、きりっと冷で「多賀」あたり。ちょっとひと口ご相伴に預かりたかったよねぇ。おんなじお猪口でさ。素足の紅いマニキュアよりも、お猪口にぺっとりついた紅い口紅がお好きなんじゃないかねぇ。あのおじさまは。そんなこと考えてると、露天風呂でしっぽりしてみたくなっちゃうじゃないの。

あなたがこんなにしたアタシ。
地酒で可愛く酔った振りならまだ救えるけれど、ブルーパールの霧が降るまで寂しくひとりでブルーな気分。
溢れるココロも流れるままに私は貝になっていた。
どうして欲しいと言えなくて、黙るばかりが女の美徳?
降り出す雨に、これがチャンスと出す傘一本。そう言や傘を失くしたと、言い訳なのか、本当なのか。今時流行らぬ相合い傘で、ココロの中も愛愛気分。傘持つ腕にちょいっとぶら下がりたいよな力こぶ。
何処へ行くにも肩に乗せれば、ぴーちく囁く耳元で。いつでも一緒、朝から晩まで。
顔が見えなきゃ寂しくて、ココロが締め付けられてくる。やっぱり女の命は恋。男だってそうじゃない?
呑兵衛にアンコは似合わないのについつい目につく甘い蒸し器の白蒸気。アツアツなのはココロも一緒。

アタシのココロを半分どうぞ。このまま齧ってくださいな。このままお口で転がして。
あとはおぼろ。あとは、おぼろ〜。
あぁ、今宵また柳のようにすすり泣く、あのヒト居なくてすすり泣く。
居なくて悲しいひとり酔い。
ココロ極まる恍惚の、嵐のあとのブルースよ。





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映画『鬼畜』(1978) 予告編
松本清張原作、野村芳太郎監督 

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