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本当に適応障害だったんだなぁと実感する今日この頃~真面目人間のご自愛日記~

前職が原因で適応障害になり、5ヵ月ほど精神科に通院していた私だが、4月にめでたく寛解となった。

11月に適応障害と診断がくだり、12月から休職(遅い)、2月に退職、3月には1人暮らしの家を引き払い実家に戻った。ゆっくりしていたつもりだったけれど、振り返ってみれば割とバタバタ動いてたんだなぁ、と他人事のように思う。

実家に戻ってからは家事をすることもなく、将来したいことをぼんやり頭に浮かべ、ひたすら寝るか、ゲームに励むかの2択で過ごしていた。週1~2の頻度で友人とビデオ通話もしていたが、その数時間を除くと本当に我ながらどうなのかと思う過ごし方をしていた。

4月に寛解だと言われたものの、元気になって通常運転に戻ってきたのかな、と自分で思うようになったのは、本当に最近のことだ。

これ! という、何か大きなきっかけがあったわけではない。
少しずつ友人と会う頻度を増やしたり、母とショッピングモールに出かけたり、甥と遊んだり、ライターの案件を少しずつ探したり、来年からの留学に向けて勉強したり、そういうものの積み重ねで元気になってきた……と思っている。

そんな日々が過ぎていく中で、前職で働いている時に感じていた心身の不調をまったく感じなくなっていることに気付いた。お腹が痛くない。吐き気もない。息苦しくない。急に泣きたくならない。消えたいとも思わなくなった。

寝食を心配することない環境に身を置いているということもあると思う。
両親は「来年から留学行くし、そのあとまた1人暮らしするやろうし、だからここにおる間(年内)の生活費は免除したるわ」と言ってくれているので、生活費に関するお金の心配が今のところないのも大きいと思う(この歳になって親のスネ齧りすぎていて、それはどうなのかと思うが)。
ちなみに両親には、適応障害になったことは一切伝えていない。

青春時代も、実際に謳歌している時は自分が青春しているという実感はなくて、過ぎてみて初めて「あれは青春だったなぁ」と思うことが多いと思う。
それと同じで、適応障害を患って働いている最中は、限界までなかなか気づきにくい。吐き気がするとか、お腹が痛いとか、起き上がれないとか、上手く椅子に座れないとか、コップに飲み物が注げないとか。何かおかしい、と自分の身体の異変に気付くまで、多くの時間を費やす人も多いだろう。

適応障害も同じで、原因となった環境から完全に離れて元気になって、ある時ふとその頃を振り返った時「ああ、私は本当に適応障害だったんだなぁ」と思うのだ。それは心身ともに、自分が正常に戻った時だ。そして、その当時に感じていた不調や変な症状がまったく出ていないことに、これが普通なんだと安心する。

適応障害は人によって原因や症状が異なるため、自分は適応障害であるという実感が湧きにくい。さらには責任感の強い人が患うことが多い(らしい)ので、自分以外の適応障害を患っている人の症状と比べて「自分はまだここまでじゃないから適応障害じゃないだろう」とか「この人に比べて自分はまだまだマシだから大丈夫」とか思いがちだ。それは完全なる間違いで、適応障害にマシもクソもない。人それぞれなんだから、他人と比べる意味もない。自分がしんどいと思えば心療内科なり精神科なりに駆け込むべきなのだ(病院に駆け込む、というのがハードルが高いことは体験済み。でも行くべき)。

誰もが私のように、実家のような何の心配もいらない場所に身を置けるとは限らない。お金の心配がある人もいるだろう。だから、私は他人に対して「仕事辞めたらいいやん」とか「実家戻ったら?」とも言わない。これはあくまで私のケースだからだ。

適応障害の症状も人それぞれ、元気になったなと思える基準も人それぞれ。
誰かと比べる必要はないと思うのだ。


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