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評価されない人も必要、と思ってみる

時間的制約のある中で、
日々を幸せに生きながら仕事も子育ても両立していくために、

残業や骨折りを惜しまず働いて一生懸命上司や周りに役に立つこと、
今を犠牲にして将来のために時間を使うこと、
よい評価を得るために仕事をすることについては、
ある程度諦めざるをえないなとは思っていました。

ただ、30代になると、後輩にも
「とっても優秀で上司からの覚えもめでたいひと」
が結構出てきて、そういう意味では完全に追い越されているなあ、
と思うこともしばしばになってきました。

いくら自分本位で生きたいと思っても、
周りの評価に振り回されるのが人間で、
そういう優秀なひとをみたり、自分のしていることをひとから否定されてたりすると、
自分の選択は本当に正しかったのかしら、
と思うのは人間のサガじゃないでしょうか。

…ということを父(教師)に相談したら、

「まてまて。歴史に名を残している人物で、存命中めちゃくちゃ評価されて生きたひとどれくらいいると思うんだ。」

と言われ、
はっとしました。

たしかに、時代を先取っている人や、
組織にない考え方を持ってくる人って、
組織からの評価にあわないことも常なんだけれども、
一定程度いないと、逆に組織にとって危険なんじゃないかと。

組織の推進力として、いわゆる「優秀なひと」は必要だと思うし、
その価値はすごくあるとおもうけど、みんながそうだったら、
誰が組織にない考え方を持ってくるんだと。

そういう役回りもあるのかなあ、と思いました。


評価を得るために仕事頑張るって、(大変なんだと思うけど)心の置き所としてはすごく楽なんじゃないかなとも思います。
だってみんなが褒めてくれるから。それでいいよって言ってくれるから。

一方で、評価を気にしない、という仕事の仕方は、
自分が役立たずであるか、良き異端児であるか、
基本自分で判断しなきゃいけない。
けっこう、いばら道じゃないかと思います。

まあ、もはや選択肢がない自分は、
良き異端児のはずだ、と信じて生きるしかないから、
自分の精神性に磨きをかけることに注力し、
自己肯定感を上げて生きていくしかないかなという心境です。
(まだ、全然、周りからの評価気になるけど!)

でもどこかで必ず見ていてくれるひとは、いると信じるし、
最後自分が尊敬するひと、好きなひとからの評価だけは、
大事にしていきたいなと思います。

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