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きれいな世界をみていたい

 きたないものが多すぎて、うんざりしたら外へ出て、
 オフィス街の真ん中で、慌ただしく行き交う人々に
 また嫌気が差す。

 疫病、病気、事故、自死、不倫、犯罪、借金、罵倒、誹謗、悪口、裏切。

 もっと世界がきれいならいいのに。
 人間の卑劣で、強慾さなんて見えなきゃいいのに。
 信頼したいひとたちの本性が見抜けられないなら
 最初からあなた方なんて目にしたくなかったのに。

 もっと頭を柔らかくして臨機応変に考えたところで、
 そこにあるのは汚らしい慾望の塊に違いないのだから
 なぜ、真っ当に生きている真っさらな人間側が
 手前勝手に淀んだ反吐へ幻滅しなければならないのだろう。
 辟易しては日々から逃げ、凌いでいるのは善人だけ。

 世界がもっとかすんで、ぼやけていって、
 遠くを凝らして見なくても、ただのきれいな側面しか映らなければいいのに。

 ──そう感受することが多いから、私はいつも彼の思考を借りて、落ち着かせている。

太宰治 『女生徒』 に共感する

"眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。"
『女生徒』 太宰治

 この世界が覗き絵だったら、って願っては諦めて。

"汚ないものなんて、何も見えない。大きいものだけ、鮮明な、強い色、光だけが目にはいって来る。眼鏡をとって人を見るのも好き。相手の顔が、皆、優しく、きれいに、笑って見える。それに、眼鏡をはずしている時は、決して人と喧嘩をしようなんて思わないし、悪口も言いたくない。"
『女生徒』 太宰治

 ぼやけていれば、眉間にシワを寄せる彼らも
 のっぺらぼうに見えるし、
 ガミガミ言い募る彼女らも、多言語に聴こえるかも。

"ぽかんと花を眺めながら、 人間も、本当によいところがある、と思った。 花の美しさを見つけたのは人間だし、 花を愛するのも人間だもの。"
『女生徒』 太宰治

 けれど、美しいものを創り出せるのもまた人間で、
 それを見つけられるのも人間だから、
 この、きたなくてきれいな世界を諦めたくないと思ってしまう。そう願うのは、これは私の慾なのかな。
 なにも、大きなものを望んでいないのにね。

 世界はこんなにもたくさんの皮肉と、
 美しい景色でいっぱいだね。

 そんなことを東京駅近くにある木製のベンチに座りながら、この願いは消えていく。

 キンモクセイの香りがしてきたので、帰ります。

 10月1日は『眼鏡の日』なんですって。まあ、偶然。

 では、本日もお疲れさまでした。

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