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歩けば、みつかる。

今日、散歩中にふと、自分の本心が見えた瞬間がありました。
すこし前の記事でも書いたのですが、なにかひとつの動作に集中する時間をもつと、気分がよくなったり、突然ひらめきが起きたりします。


「散歩さえも、瞑想」

そんなことに気がつくと、日々の何気ない行動が貴重な時間に思えてくるから不思議です。


さて、今日のひらめきですが。

わたしは昔から疑問に思っていること、解決できていない問題がありました。

それは「どのコミュニティにいても、居心地が悪い」ということです。

いじめにあうわけではありません。

むしろ、わたしはどこに行ってもよくしてもらえるのです。

こういうと、「なんて贅沢な悩みだ」と思われるかもしれません。

しかし、明確な理由もないのに居心地が悪く、しばらくは我慢しているのですが、何年も経つとさすがに疲れてしまうのです。


わたしは人が嫌いなのだろうか?

そう思った時期もありましたが、そういうわけでもないようです。
むしろわたしは人が好きなのです。

理由がわからなく、モヤモヤしながら何十年も生きてきたわけですが、今日ついに納得する答えがひらめきました。



わたしは上下関係を認めていないのです。

コミュニティの中に、上と下があるという状況が窮屈で窮屈でたまらないのです。


だから、どんなに優しく仕事を教えてもらっていても、面倒をみてもらっていても、上の人に指導を受けているというだけで、居心地が悪いのです。

これは、職場に限らず、友人関係でもそう。

友人がわたしにはないモノを持っていたときに「あなたもこうすればいいんだよ」と悪気なく言っただけで、関係を切りたくなってしまいます。

これも、今までは「わたしはあの友人に嫉妬しているのだろうか」と思っていました。

しかし、わたしにはないモノをたくさん持っている友人は他にもいて、それを憎々しく思ったりはしません。

「いいな~。素敵な生活してるな~。この人と友達になれてうれしいな。」と純粋に憧れることができます。

今日、この違いにも納得ができました。

友人が何を持っているかとかは関係なく、わたしとの間に上と下を持ち出したことに嫌悪感を感じていたのです。


わたしはこころの底で、
「人はどこまでも横の関係なはず」
と思っているようです。

年齢とか、経験とか、持ち物とか、そんなものは関係なく。

しかし、社会ではあらゆるところで上と下が存在します。

むしろ、今のところほとんどの場所で。


一体どこで学んで来たのかはわかりませんが、わたしの中にある「人と人は横の関係であるべきだ」という信念のおかげで、家庭でも学校でも、職場でも、仲のよかった友人とさえも居心地の悪さを感じていたのです。

こうやって、自分の外に出して(文章にして)みるとごくごく当たり前のことを言っているようですが、この本心に気がついていなかったばかりに、わたしは何十年も自分がこころから居心地がいいと思える場所をみつけることができずにいました。

どこにも自分の居場所を見つけられずに、誰といても、どんなコミュニティにいても孤独感を感じていたのです。


上下関係が嫌な人はたくさんいるはずです。

でも、多くの人は嫌でも「ある程度は仕方がないこと」と割り切って生活しているのではないでしょうか。

しかし、わたしは「そんなものあるわけがない」とその存在すら認めていなかったのです。

そりゃ、うまくいかないわけだ。



さて、理由がわかったところで問題はこれからです。

「じゃぁ、わたしはこれからどうするの?」です。

どうやって、横の関係を作っていくのか?

今はまだ「人間関係に上と下があるのは当たり前」と思っている人が多い世の中で、わたしはどこで誰と関係を構築していくのか?

会社に所属している限りは無理なのか?

そんな疑問もわいてきます。


しかし、とりあえず長年の疑問に対して原因がわかったことで、今日はすっきりです。


答えはまた歩きながら見つけよう。

迷ったときは、歩こう。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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