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大倉集古館の古伊万里

不定期に訪れる伊東忠太ワールドに触れたい発作が起きた。とはいえ京都の平安神宮へ気軽にGoToというわけにも行かないので近場ですぐ出かけることのできる限られた場所から選りすぐり、ちょっとご無沙汰している大倉集古館に足を運んだ。

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都心の狭小地にありながらオークラ村の贅沢な陣取りは抜けるようなスケール感で心地よい。リニュアルしたホテルオークラやその別館やらに囲まれて、時どきテッカテカの黒塗りの車を寄せてお付きの方々を伴に悠然と出入りするどこぞのお爺ちゃんの姿を見かけたりもする。そんな立地ゆえかこの大倉集古館、良くも悪くも格式ばって堅苦しく見えるのだが相変わらずなんともいえぬ西洋様式なのか東洋思想なのか神社仏閣なのか掴みどころのない不思議感と伊東氏の遊びゴコロが随所に散りばめられていて楽しい。

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と好きな建造物に会いに行ったわけなのだが、折り好く企画展示開催の真っ最中で、その内容も実に興味深げなものだったので透かさず賞翫するに相成った。

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ウツワのことには詳しくないし、素敵な食器を見つけるとつい同じようなものでも買い集めてしまう、というタチでもない。遠い昔、学生の頃に必須課目で陶芸を少々かじった程度だが土を捏ねて焼く陶芸だったので磁器の方はというと更に門外漢である。それでもこの展示に惹かれたワケのようなものがあるとすれば「単純に美しいものを並べました」というのとはどうも少し毛色が違う匂いが漂ったから、だ。

日本の磁器生産は1610年代に佐賀県の有田で始まったという有田磁器の歴史とともに佐賀県立九州陶磁文化館所蔵品を中心に展示されている。館内展示物の撮影が禁止だったのでここでお見せできないのが残念だが伊万里焼屈指のデザインと品質を誇る鍋島様式の格調高い色彩や寛文小袖の粋な服飾デザインも取り入れている品格ある白絵磁器の壮麗さに目を奪われた。ヨーロッパで初めて硬質磁器を生みだしたドイツの名窯「マイセン」の誕生にも影響を与えているとのこと、なるほど納得しきりだ。他にも有田焼の老舗・香蘭社の名品の数々を拝むこともできた。そしてこの企画展の目玉、古伊万里に魅せられたヨーロッパ貴族たちが所蔵した多くのコレクションが戦争で破壊された夥しい数の無残な器たち、その破壊ぶりは胸が痛むほどだ。打ち砕かれた物品がこれでもかと披露される展示イベントを過去に観た記憶は自分の中では皆無だ。そして美術陶磁復元師、繭山浩司氏の手によって甦った磁器の姿にはお見事!を通り越して長い時を一瞬で飛び越えるような一大絵巻と見紛うほどのスペクタクルっぷりであった。

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大成建設の前身である大倉土木として鹿鳴館、帝国ホテル、歌舞伎座、碓氷トンネルなど多くの功績で知られる一方で事業で得た富を数々の文化に還元したという大倉喜八郎氏。ねぇねぇ喜八郎さん、佐賀が生んだ日本の技術や文化がヨーロッパに渡り不穏な戦争というもので砕け散ったはずの名品が、この2020年という不穏な時代に凱旋帰国しましたよ。そして日本の匠の手によって鮮やかに修復されましたよ。ちょっと誇らしい気分になれましたよ。未来は明るいかも、なんて思わせていただきましたよ。





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