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発信を前提とした生活をしてると、「感じる」心がなくなっていく

先日、ふみやくんのおばあちゃんちに
向かっている車内で、
かわいい水色の橋を渡った。

すごく胸がきゅんとして、
わたしはすぐスマホで写真を撮ろうとした。

でもその時、
「あ、インスタ辞めたんだった」と気づいて
写真を撮るのをやめた。

そして、
その橋を通るあいだ中、
「なんでこの橋が素敵と思うのかな?」
と考えた。

その結果、
「水色」という好きな色で
目の前の景色がいっぱいになることで
わたしは「可愛い!」と思ったんだ!
ということに気がついた。

なんだかそれが、すごく嬉しかった。

その話をふみやくんにしてみた。
そうしたら、
「僕もあの橋好きなんです」と言ってて、
共通の好きなことがひとつ増えた!
その感覚もまた、嬉しかった。

これまで
「発信を前提とした生活」をしていた私。

かわいい!と思ったものはとりあえず
「写真を撮る」がゴールで、
そこで「思考停止してる」ことに気づいた。

どうせ見返したりしないその写真を、
ただ「撮る」という行為だけで
「わたしは可愛いと思った」という
自分の感受性の豊かさを肯定してる感じ。

本当は何も考えてないのに。笑

「写真を撮る」をゴールとしていて
そこで満足しているせいで、自分は、
「感情を使ってない」ことに気づいたんですよね。

もっと味わえよ!
もっと感じろよ!
と、自分で自分に突っ込んでいるわたしがいた。

この水色の橋、かわいい!
パシャ。
「水色かわいい〜」とかなんとか
適当な文字を打ち込んで、
インスタのストーリーにアップ。
終了。

まじで浅い。
自分、浅すぎる。笑

感情とか「考える」という機能が
せっかく人間には備わっているというのに
私はずいぶんと
「感じる」をしていなかったんだな、
ということに気づきました。

橋だけじゃなくて、
すべてのことに言える。

お店のお花、かわいい、パシャ、
インスタにアップ。
政ちゃんのとんかつ、おいしそう、パシャ、
インスタにアップ。
今日買ったお洋服、かわいい、パシャ、
インスタにアップ。
夕焼けの空、きれい、パシャ、
インスタにアップ。
ふみやくんの食べてる姿、かわいい、パシャ、
インスタにアップ。

書き出してみて思ったけど、
情けないほどに、わたしは
「発信がゴールになった生活」をしてる。

でも本当は、発信って、
気持ちの「最後」にあるべきなんだよ。

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