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生い立ち (1)


「生い立ち」と言うよりは「幼い頃の記憶の整理」と言う方が正しいかも知れない。

実は、自分が持っている記憶が「本当に正しいもの」であるかは分からないのです。一部の記憶は中学生の頃に、夢に見たり、フラッシュバックで蘇って来た記憶で、それまでは幼い頃の記憶がすっぽり抜けている状態でした...。

尚、目次機能は使わない。笑
あと読みづらいのはご愛嬌。それではいこう。


3歳頃、母の不貞を目にします。
父が居ない間に知らない男を家に上げ「何があっても見るな」と言い、襖1枚隔てた隣の部屋で、その知らぬ男に股を開いてた。

暫くすると父が帰宅し「おい何してんだ!」という怒号。そのままコンビニへ連れて行き、金を下ろさせる。示談金でも用意させたのでしょうか。

父の稼ぎも大した稼ぎでは無かったそうなので、今思えば、副業でそういう悪業をしていたのかも?とか思う。


この頃から「夫婦喧嘩」が絶えなくなった気がします。もう、とにかく暇さえあれば怒鳴り合いの喧嘩。(面前DV、というやつですね)

ワンワン泣き叫ぶ琥珀さんを、お向かいのご夫婦がそ〜っと回収しに来ます。出てきたお菓子を半泣きでパクパク。そして遊んでもらって気付けばご機嫌さん。


また、この頃はよくビデオデッキに蒲鉾ぶち込んで10分置きに父に怒られてました。笑

トラック乗っててあまり帰って来ないのもあってか、そうやって構ってもらえるのが嬉しかったのかも知れない。



年少さんくらいから急に幼稚園へ通わされました。

近くに居た子に「ねぇ、こっち来て」と呼ばれたので行ったところ、無言で口の中に砂を詰め込まれました。ひたすらに泣く事しかできなかった。相手はめっちゃ先生に怒られてた。

それから登園拒否をするようになりました。

それでも毎日、通園バスにムリヤリ乗せられ、バスに乗れなければ幼稚園まで抱えて連行される。


因みに父が在宅の日は、父の前で幼稚園へ連行しようとすると「無理に行かせなくたって良いだろ!!」と怒鳴るので、お休みになります。ですが父はトラック乗りで、不在がち。だからか、しょっちゅう「パパお休みいつ?」と聞いていたような気がします。

今考えれば、不貞するチャンスなので、そりゃムリヤリにでも行かせますよね。専業主婦で仕事をしてなかった母が「用事がある」と迎えに来なかったこともありました。迎えに来れないほどの専業主婦の用事って何なんでしょうかねぇ。ママ友なんかも居なかったのに。あ、この時は叔母が慌てて迎えに来ました。


ある日、泣き過ぎて幼稚園で嘔吐しました。
「気持ち悪い」「こっちに来ないで」ただでさえ仲間に入れてもらえない環境が、さらに悪化しました。

パンケーキをみんなで作るイベントも、誰も混ぜてはくれません。先生と2人で作りました。

お遊戯室で全体が集まって、クラス毎1列に並んでご飯をたべるイベントも、みんな「嫌」「来ないでぇ!泣」と入れてはくれません。怒った先生がムリヤリ捩じ込みましたが、両隣には、かなりのスペースが。

普段の給食も1人か先生と一緒でした。誰も混ぜてはくれないんだもの。


この頃の家での食事は、お昼はホットケーキ、夕飯はカップ麺でした。もちろん毎日。まともにお米を食べる日は、父の実家に預けられた時くらいだった気がします。



年中さんになったある日、父親の実家に住む事になり、引越しをしました。

母は、それでも尚、不貞をやめません。
暑い日も寒い日も、子供を車で連れ出し車内放置で不貞相手の車でイチャコライチャコラ。


もちろん変わらず夫婦喧嘩も絶えません。
ジジババにしがみついてワンワン泣いてました。そして祖父は「また子供の前で!!外でやれ!!」と、ブチ切れ。いや、それは近所迷惑だよ...笑

一度、父に「ママはパパが居ない時に誰と会ってるの?」と、聞かれたことがあります。でも喧嘩されるのが嫌で「知らないっ」と答えました。
(正しくは「知らない人」が正解です)


食事面は変化がありました。お米のある生活になりました。ジジババと食べる時は、エビフライや餃子を作ったり、畑で採れた野菜を使ったメニューを食べるようになりました。

親と食べる時でも、まぁ焼き魚とかカレーとか...?白米はありましたね。

そして、お箸の持ち方・クチャクチャしない・脇を締める・お皿を支える(持つ)、迷い箸ダメ・渡し箸ダメ・テレビばかり見て箸を止めない(止まるとテレビ消される)などなど、父や祖父母に厳し目に躾られるようにもなりました。


父は自分には割と「普通の父親」だった気がする。悪さしたり、無駄にしつこくしなければ怒られる事はないし。色んなところ連れて行ってくれた。運転クソ荒いけど。今で言う「煽り運転」常習犯だったけど。一度だけ茄子を食べられなくて夕飯没収されてめちゃめちゃに泣いた事もあるし、妹の夜泣きがうるさいとか何とかで口にガムテープ貼られた事もあるけど。でも殴る蹴るとかは無かったと思う。記憶には無い。

いつも喧嘩すると父は必ず「出て行く!」と言う。付いて行くとジュース買ってもらえるので、いちごオーレを買ってもらってご機嫌さんでした。さっきまで喧嘩が怖くてワンワン泣いてたくせに思考回路が一瞬にして「はっ!!ジュースを買ってもらわねば!!」となれるの本当に凄い。



引越しと同時に幼稚園も転園して、毎日行けるようになった。みんな仲よくしてくれたのが凄く嬉しかったんだろうね。


みんなと一緒に小学校へ入学。

2年生の時に「家を出る」と母に言われ、急に片親家庭となりました。半年間の間に、一時保護施設、母子寮へと入居しました。

初めは「いつ帰る?」と何度も何度もしつこく聞きました。母からの返事はありませんでした。暫くして「あ、もう、じーじにも、ばーばにも、ねーねにも会えないんだ...」と分かりました。「帰りたい」なんて言ってはいけないのは小学校低学年の子供にでも分かりました。

母子寮は小学校卒業まで住みました。今思えばクソガキでかなり手が掛かったと思います。無駄に頭の回転が早い子だったためか、寮母からのイジメみたいなものもありました。

ですが、他の家庭の子が挙って洞を吹くが如く「〇〇先生が琥珀ちゃんをイジメてた!」と親に報告してしまうため(多分わざと笑)、そこから館長へ話が行き、その寮母は「子供相手にムキになるな」と怒られてました。

なんか... ごめんね...。

次回予告(?)


次は母子寮に入居した後の「学校生活」を書こうと思う。これがなかなか酷いのです。笑

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