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大学だけには行くな。

こんにちは!

こんにちは!BLECHA(ブレカ)です。
2回目の投稿ですね。(2回目からぶっこみすぎた)
めんどくさがりの私の投稿がいつまで続くか、私が一番気になります笑
少し長いですが今回も個性、世界観全開の私をお楽しみください


大学には行くな

さて、早速本題です。
この時期、世間では受験ムードが漂い始め、受験生を鼓舞するcmをよく見かけますね。
ここであえて、私が起業当初から考えている世で言う教育不要論「的」なことを提唱と思います。
日本のどっかで生きてる変人かまた変なこと言ってるよ的なスタンスで聞いていただいで構いません(笑)

上記通り、私が提唱したいのは教育不要論「的」な概念です。
すなわち、教育を全否定しているわけではないのです。
私も現に県内の自称進学校と呼ばれている高校に所属していますしね(なんやねん)
ただ、自称進学校に入学しても教育が不要だと叫び続けているのには理由があるのです。


教育は殺戮マシン

私が異議を唱えたいのは人々の世界観や個性を殺す教育についてです。
【初投稿】で記した通り、私が人生で大切にしている2つの言葉は、世界観と個性でございます。故に言ってしまえば私が一番仲良くしているお友達をくびちょんぱされている気分なわけなのです(笑)

じゃあ一体世界観や個性を殺す教育って何?
百聞は一見に如かず、こちらの風刺画をご覧ください!

どうでしたか?
大まかに説明すると先生という名の斧が生徒という名の原木を授業で同じ形の木材に加工している。ってところですかね。

一見後の百聞は百聞は一見に如かずに如かず。私の解釈を説明しますね。
・原木の頃の枝や樹皮は個性や才能、その人の世界観を表す
・大人が子供を強制的に教室に入れている→全員が学校に行くのが当たり前                                            という風潮が存在している
・大人と授業を受けている子供の形が似ている→大人という理想の形が存在する
・木材となった人間は企業という建物を支えるための材料となる

などでしょうか。
特に日本や韓国の教育はこの風刺画の状況に近いと言われています。
つまり私たちがよく知る教育は人の個性や世界観を殺す代わりに大人が扱いやすい形に加工する段階ってことなんです。

言ってしまえば洗脳ですよね。
将来扱いやすくて上質な材木で安定した建物を建てたいんですよ大人は。学歴で新入社員を選ぶ理由はもちろん大学での学びもあるでしょうが、扱いやすいっていう点が大きい気がします。国が用意した生き方に何の疑問も持たずにお勉強を頑張ったんですもの。企業の理念に従って働いてくれるいい材木になってくれるに違いありません。

これを述べたうえで私が問いたいのは、
お前の夢を諦めるかわりに他の誰かが夢を叶えるためのパーツになれ
って言葉を今まで通り聞き流していいのかってとこです。


ちょっと抽象的だから具体的に!

私の通う高校は毎年全員が大学を受験します。しかし大学を志望する理由を聞くと答えられない人が大半なのです。ao入試で提出する志望理由書なども嘘の志望理由で塗り固め、大学に入ったらいっぱい遊ぶが口癖。君たちは遊ぶために今まで勉強してきたのかい?4年もの期間、受けたくない講義+課題に貴重な時間を費やすのか?
と日々不思議に思うわけです。要は、
大学を受けるのが当たり前だと考える世の風潮が気に食わない
のです。
「若者は勉強しなければいけない」という考えが彼らを従順にし、材木に変えているんです。
そこで大半の人に湧く疑問は、
じゃあ今頑張ってる勉強ってなんなの?


勉強はただのゲームモードでしかない

学生の皆様は受験や進級に向けて勉強を頑張っている時期だと思います。私の周りも一日12時間は当たり前みたいな人だらけです。でも学生なら一度はこの疑問を持ったことはありませんか?
勉強ってやって将来なんのためになるの?
私も洗脳から解ける前は毎日のように思っていました。
結論から申し上げますと、そう思っている時点で何の意味も持たない行為になります。

小見出しで記した通り、勉強は一種のゲームモードです。人生というゲームに無限に存在するゲームモードの一種でしかないんです。スポーツも、音楽も、美術も全部そうです。つまり、勉強というゲームモードが得意でないのなら他の無限に存在するゲームモードを試すことができるんです。もしかしたらそこで自分の才能に巡り合い、そのゲームモードを極めることができるかも。そして、それこそが本当の意味での人生の成功なのです。

しかーし

現在の学校教育では子供に勉強というゲームモードしか教えないんです。そのうえ、勉強というゲームモードさえできればいいんだよと子供に洗脳するわけです。だから、日本の若者は貴重な若いころの時間を平気で勉強だけにあてるなんてことができちゃうんです。そこで私が提案する考え方はこれです。


この世は全員がギフテッドだ。 Everyone is Giftied.

皆さんはギフテッドと呼ばれる人々をご存じだろうか。定義は未だ曖昧ですが、朝日新聞社は、「一般的に高い知能や特定の分野で優れた才能を持つ人のことを言います」と述べています。テレビでも、ギフテッドの子がその高すぎる知能から学校での学びが退屈になり不登校になるというニュースがよく取り上げられています。

「ギフテッドに生まれたかったなぁ」

大体の人が考えることです。しかし私は、「この世に存在するすべての人がギフテッド」だと思います。問題は、才能のない自分でなく、「自分がどの才能に恵まれたかを見つけられない生き方」にあります。世で言うギフテッドがそう呼ばれる理由は、たまたま全員がする勉強というゲームモードのギフテッドであったからです。要は見つけやすいタイプのギフテッドだっただけなんです。

ただこの世は見つけにくいギフテッドを持った人で溢れかえっています。そこで、その探し方を教えちゃいます。それはいたってシンプルで、
楽しい、ワクワクするものを信じる
これにつきます。「ワクワク」という感情は才能を探しだす探知機の役割を担います。勉強一つ取ってもそうです。「苦しい、苦しい」と思って勉強している受験生が勉強を心から楽しんでいる受験生に叶うわけありません。苦しいと感じている人は受験に合格した瞬間に今までの頑張りが無駄にならなかったことに安堵し、心から楽しんでいる人は夢へのビジョンが明確になったことに歓喜します。安堵して遊びまくるなんてもってのほか、今まで無駄にしてきた時間にプラスしてポテトつけてるみたいなもんです。


まとめ

この世に生きるすべての人に何かの一番になれる才能があります。
今才能がないと嘆いている暇ががあるなら行動を起こしましょう。
自分が有利なゲームモードを探してみましょう。
大事なのは学力でも学歴でもありません。
心の底からワクワクできるものを信じて迷わずに突き進むことです。

感じているとは思いますが、私は大学に反対しているわけではありません
勉強というゲームを心から楽しめる人には是非とも行ってほしい場所です。夢を叶えるのには最適な場所だと思います。
私が反対したいのは、疑問を持っているのにただ勉強をし続けるする人々です。
そのゲームモード、本当にあなたに適していますか?
そのゲームモード、あなたを縛り付けていませんか?

昔と違って今は自分は自分だと叫んでいい時代になりつつあります。
私もこうして私の生き方や世界観を叫んでいます。
私もこうして人生をかけてBLECHAを運営してます。

今こそ視点を変えるだけでなく目の数を増やしていろんなことに挑戦しましょう。一生ワクワクできる生き方ができるように。


あとがき

文章力皆無の私のページをご覧いただき、ありがとうございます。読み返すと、まだまだ言いたいことだらけで少し歯痒いです(笑)。全部このNOTEで発信するのでフォローして待っていただけると幸いです。不快な気持ちにさせてしまった方々はすみません。でもこれが私の生き方であり世界観です。異論は認めます。文章力はありませんが、私の一つの才能であるワードセンスだけを武器にこのNOTEは成り立っています。おもしろいなっておもっていただけましたら、是非とも他のNOTEも観ていってくださいね。


・もしかしたら来年令和の虎に出演するかもしれないのでその時は是非チェックを!
・今日書いたnoteの小見出し一つ一つを詳しくしたバージョンも随時投稿させていただきます。









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