お料理と、愛と、コンプレックスと。

※間違って全記事削除してしまったため再掲します。date:2020/04/18 12:08

世間を騒がしているコロナウイルスで仕事もお休み、時間がゆったりと流れているのでずっと気になっていたnoteを始めようと思います。

文章は得意ではないけれど、日々感じた事をありのままで綴れたらなって。

ありのままと言っても、文字に起こしていると気持ちが穏やかになって、文章も話し言葉以上に柔らかくなるんだけどね。


世界の状況はとても良いと言える様な状況では無いし、自分自身ももちろん不安の渦にはまってしまう時もあるけれど、こうやって自分の内側と向き合えるのは嬉しい事だなと思う。

心がうるおう、大切なひととき。


緊急事態宣言が出されて1週間が過ぎた。

家族と過ごす時間が増えたけれど、恋人とは電話でしかお話しする事が出来ず、さみしくないと言ったら嘘になる。

そんな中でも、自分でも驚くポジティブな変化があった。


それは、家族に料理を振る舞える様になったこと。(正確には、親の手伝いをしたり親に助けてもらいながらなのだけれど)


当たり前じゃん(笑)と思うのが普通だと思う。だって、料理を振舞うという行為が私にとってどんなにすごいことなのか、親友でも予想は付かないと思うから。


私にとって「料理」はコンプレックスのかたまりだ。


どれぐらいコンプレックスを刺激するかというと、料理をしている最中に涙が出そうになるぐらい。ふとした時にネガティブな気持ちになってしまうぐらい。

更にひねくれてくると、同年代で自分の料理を振る舞える子を見た時に「子どもの頃、自分のやる事は何でも褒めてもらえたんだろうな」だとか「自分が人のためになれることを信じて疑わず、誰かのために行動できる図々しい人間なんだなぁ」なんてことも思ってしまう。


自分でも受け入れたくないけれど、そんな廃れきった言葉を心の中で放ってしまうぐらいには料理嫌いだった。


原因は以下の通り。

・何かを振舞う時、プレゼントする時、自分のセンスを試されている様な気がしてならない。

・相手に喜んでもらえなかったら失望されるとの不安が大きい。

・そもそもが不器用で、要領も悪く料理が上手に出来ない。


このどう見ても闇深い料理嫌いが、この1週間は他人に料理を振舞っているのである。驚くべき変化だ。


「花嫁修行」


これが、料理嫌いから、少し頑張ってみようかなと想いが変わったきっかけだ。


恋人と会えない代わりに、一人でも体現できる愛を磨いていく。


昔日本には「愛する」なんて言葉はなかったらしい。

名詞プラスする、という言葉は元々日本語としてなかった動詞だと教わったことがある。電話 する、お茶 する、シャワー する、

「愛する」もそう。愛、プラス、する。


だから、好きは感情で、愛するは行動だ、と言われるのだろう。

月が綺麗ですねとの表し方も好きだけれど、今なら自然なぐらいにストンと落ちる。


外出自粛期間中でも、あなたを愛しているという気持ち、会いたいという気持ちを言葉以外で伝えたい。

愛を体現するために、相手に愛を伝えるためには何ができるかなと思った結果がこれだった。


早くあなたのために料理を振る舞いたい。喜んでくれる顔が見たい。(何でも喜んで褒めてくれる恋人には感謝しても仕切れないのだけれどこの話はまた今度にしようと思う)

何かを努力しようとするとき、人は、自分のためよりも他人のための方が何倍も努力できる。20年と数年生きてきて、今深く頷けるぐらいに実感している。


結論、

コンプレックスは努力でどうにかするものではなく、愛で克服していくものだ。

愛の力に驚かされてばかり。

早く世界中が落ち着いて、恋人に料理を振る舞えます様に。


〜〜〜

ここまで読んでくださった方はいらっしゃるのでしょうか?

長々とまとまりの無い文章だけれど、内なる想いを残せて愛おしい気持ち。

お付き合いしてくださった方、ありがとうございました。


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