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【エッセイ】海外志向マイノリティ

 「海外に行きたい!海外に住みたい!」というやつと、「えー、熱海でよくない?」というやつが友達にいたとして、どちらのほうが社会的で模範的な印象を受けるだろうか。まず間違いなく、海外志向がある方が社交的で面白い人間だと思われるだろう。残念ながら、僕にはその志向がない。

 そもそも、多くの人が海外に行くことに対してやけに好意的な気がすると前々から思っていた。英語を勉強している人に対しては大体の人が応援してくれる。社会人になって英会話教室に通う人も多いし、もっと英語を勉強すればよかったと嘆く人も多い。でも英語を話せるようになって、海外に行ってみんなは何がしたいのだろうか。そこでしか食べられない料理、見られない建物や芸術、味わえないアクティビティ。今のところ心から説得されるものに出会っていない。海外に行った話を聞いたり映像を見たりしても、「それ日本ですればよくないですか?日本でもできますよね?」と心の中のひろゆきがささやく。

 日本や日本人が嫌いだから外に出たい、というなら文句はない。海外に移住して現地の人とコミュニケーションをとるのが夢だというのならわかる。でも多くの人は旅行で行くだけか、いずれ来る(はずの)「国境を越えた理想的な生活」がいつでもできるように準備をしているだけだ。おそらくテクノロジーによって、僕らが思っているよりもずっと早く言語の壁はなくなる。ただ、移動時間の壁だけは生きているうちには解決しない。テクノロジーが時間以外を解決する時代が来るとして、わざわざ時間のかかる移動をしてまで日本と海外を行ったり来たりしたいと思うだろうか。

 上の段落を読んで、どう思っただろうか。すごくひねくれていて、イヤな奴だと思うに違いない。大丈夫、そこまでは思っていない。読んでくれている人が自分や周りの海外志向が強すぎるのではないかと自問してほしく、かなり過激に書いてみた。今までの人生で海外志向に当てられすぎて、鬱憤がたまっていたのかもしれない。

 海外志向が強いことは偉いことで、褒められることだというのは間違ってはいないと思うが、ほかの志向と比べて優遇されすぎているというのが持論だ。日本語の扱いが上手でも、プログラミングができるでも、魚に詳しいでもなんでもいいが、それも同列に褒めてほしいと思うのだ。最後になるが、海外志向の強い人が決まって「結局日本食がうまいよね」と口を揃えることに関しては、なんかムカつく。

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