見出し画像

忘れられない先生


わたしが中学2年生のときの1年間だけ、部活の顧問をしてくださっていた先生がいました。

先生は学生のとき、全国大会や国体で入賞を目指せるほど陸上のスーパーエリートだったらしいです。

わたしが3年生になった年に、結婚されて遠い県外に行かれてしまいました。

とてもお世話になったと思っていたので、先生が離任される際に手紙を渡し、その時に引越し先の住所も教えていただいてました。


3年生になったわたしは、中学で部活ができる最後の年に、自分の実力不足で目標としていた大会に進むことができませんでした。

今考えても、当時の自分でも、自分の努力が足りなかった、いつもどこかに自分への甘さがでてしまっていたということは分かってはいました。

しかし中学時代、脇目もふらずに勉強と部活だけに励んでいたわたしは、どうしてもその結果を受け止めることができませんでした。


わたしは長距離をしていたので、春の大会を終えた後に秋の駅伝大会を控えていました。

わたしの中学校は部員も少なく、力のある選手もぜんぜんいなかったので、顧問の先生やコーチは非常にありがたいことに、わたしに絶対に駅伝に出て欲しいという話をしてくださいました。

わたしは自分の実力不足と才能のなさを突きつけられた直後で、全く前向きにはなれず、期待に応えたい気持ちと辞めてしまいたくてたまらない気持ちで揺れていました。


思い出したように、先生に手紙を書きました。

がんばったのに思ったような結果が出なかったこと、これ以上がんばれないからやめてしまいたいこと、だけど是非にと勧めてくださる人の声を無下にはしがたいこと。

自分がそのとき抱えていたモヤモヤを全部ぶつけました。

先生からはすぐにお返事が来ました。


そこには『よくがんばったね』『休んでいいんだよ』と、きっとそのときのわたしが欲しかった言葉が並んでいました。

そして、

『先生も、そんな気持ちになったことがあるよ』

と、先生の体験が書かれていました。


全国大会の常連になるような選手です。わたしなんかよりもっとずっと努力していたようです。それでも報われなかったことがあった、という内容でした。

先生の努力の軌跡を知ると、単純だけど、わたしはもっと頑張れるかもしれないと思えました。


それでもすぐには切り替えられず、しばらくは先生の言うように部活を休んでいろんなことをしました。「毎日走らなければ」という精神的な呪縛から解放されて、学校が終わったら直帰し、基本は家にいて本を読んだりテレビを見たり、気が向いたら散歩にいく、というスローライフを送りました。


一旦離れてみると、もうそろ走ろうか、みたいな気楽な気分で久々に部活に行けました。

後輩から「なんかいろいろ忙しいのかと思ってました」とあっけらかんと言われました。わたしが辞めるという考えは微塵もなかったようです。余計に気が抜けました。

わたしは、変に自分にプレッシャーを掛けることがなくなりました。できるだけやってみようみたいな気分でなんとか最後の駅伝まで走り続けることができました。


それから先生には、たまに年賀状を送ったり、卒業などの節目のときに葉書を送ったりしました。けれども、あれきりお返事はいただけていません。


もしかしらご迷惑になっていたのかもしれません。

でも最初にいただいた手紙の最後に

『困ったときにはまた連絡してね。力になります。』

とありました。


きっと先生は、もうわたしは大丈夫だと思ってくれているのかな。








この記事が参加している募集

部活の思い出

忘れられない先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?