就活という行為に足を踏み入れる心理
どうして学生は就職活動をするのだろうか
これは、私が就活生だった頃も、仕事として採用活動をしていた時もずっと疑問に思っていたことである。どうやったら自分にとっての幸せな会社を見つけられるだろうかとか、会社にとっても社会にとっても本質的な採用はなんだろうとかは、考えて自分なりの考えを持って、それに沿って行動してきたつもりだった。
けど、その根本、どうして就活というものを始めるのだろう、の疑問がずっとあって、それがこないだすっと解消されたという話である。
社会人の人間味
今月の頭に、私がインターンをしている会社(Talknote株式会社)でTalknoteNightという会が開かれた。ざっくり説明すると、普段の目標設定や行動計画モードから離れて、みんなで会社のビジョンミッションや将来について熱く語り合おうよ、みたいな会である。私はただのインターンだったし内定者でもないけど、ひよっこ大学生なもんでビジョン系の話が大好きなので参加した(社内の人間は誰でも任意で参加できる)。参加しつつ客観的に会を観察していて、ふっと感じた。
ああ、社会人もこうやって泥臭く悩んで迷うんだな
いや当たり前でしょと思うかもしれない。でも私にとっては気づけたことが革新だった。超優秀集団だと思っていた社会人たちもこんなに悩んで、会社の将来についてブレストしながら考えるんだ。エンゲージメントが高いとされてるTalknoteでさえ、今の組織に疑問を抱いて悩んでぶつかり合うんだ、ってね。
これは良い意味で超人間味を感じられ、自分が昔感じていた社会人とのギャップみたいなものに気づけた。
学生から見る社会人ってどんなものだろう
あなたが社会人であれば聞きたい、「学生の頃、社会人ってどんな生き物だと思ってましたか?」
あなたが学生であれば聞きたい、「社会人ってどんな生き物だと思っていますか?」
ここではあえて生き物という異世界感を漂わせたが、でもそう思っていませんでした?正直、私は思ってた。全社会人に尊敬の意を持っていたわけではないけど、ただ「どうしてこの人たちはこんなすごいことをやる権利を持っているのだろう」みたいな感覚を全大人に抱いていた。どうしてそれをやることになったのか、自分で想像がつかなかったからだ。
段階を踏みたがる人間たち
TalknoteNightで社会人の人間味を実感し、自分が昔抱いていた社会人とのギャップに気づいた時、どうして学生が就活という儀式に足を踏み入れるのかのもやもやが解消された気がした。
就活というステップ(儀式)を踏まないと、”社会人”という人間になれないと思っている
のではないだろうか。私は就活中、どうして就活をするのかという問いに「自分の幸せのため」とか「社会を知るため」とかあげていた。間違いではないと思うけど、結局はそういうステップを踏むことで人生のステージをあげるということが当たり前だったからではないかと思う(今思うと過去の自分超ダサいな笑)。
言い換えるなら、自分には雲の上の存在だと思っている社会人にならなきゃいけないタイミングがきて、よくわからないけど1年も2年も活動して幾度とない面接を通過して合格をもらうということに、「他責的安心感」的なものを得ているのだと思った。そりゃそうだ、今までの人生のステップの上がり方は、試験に合格しないと学校に通えないというなんとも窮屈な構造だったからね。
試験に合格するということで、自分は正当に判断されてここにいるんだ、居ていいんだという安心感が得られる。だから、自分には遠い存在だと思っていた社会人になろうと学生が思った時、ある種受験勉強と同じような要領で、合格までのフレームを把握してそれに沿って行動を始めるのだろう。
社会人も学生も悩み多き同じ生き物なのだ
少し考えたらわかるけど、社会人と学生なんて全然変わらないのである。22歳から23歳になった瞬間に、完全にビジネス脳になるわけではないし、そもそも社会人になる年齢はバラバラである。組織の毛色が変わるだけで、それまで部活や委員会、サークルの組織運営で悩んでた人間たちが、急に優秀集団に成りかわる訳が無い。
TalknoteNightでも、実際に「ベンチャーてなんぞや」が入社理由のひよっこインターン生(わたし笑)でさえワークにはきちんと参加できたし、本気で会社の将来について考え、それに耳を傾けて活かそうとしてくれている人たちばかりであった。入社1ヶ月の19歳内定者だって全員の前で発言していて、心動かされた人も多かったと思う。良い意味で、それくらい特別な場所じゃないのが会社なのだ。
もらった権利に甘えたくはないよね
じゃあ就活は無駄なものだ!という意見にはNoである。私は就活を通じて明らかに視野が広がったし、そもそも楽しかったからやってよかったと思ってる。内定先にも不満はないし、働くの楽しみ、ああ卒論やらなきゃ;;みたいな毎日を過ごしてる。
ただ、権利をもらわないと頑張れない人間にはなりたくないなと感じた。自分は合格という判断を下されたからここにいるし、だからここにいる意味があるなんて慢心は絶対にしたくない。自分がここにいる意味があるかどうかは入った後にどれくらい価値を提供できているかで決まるし、そもそも採用は入学試験とは違い、最大限の相互価値感判断の上での推測でしかない。誰も正解を知らないまま採用された自分は、推測の正解の斜め上をいく存在でありたい。
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