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#36 結局自分は何者でも無い

noteを読んでいて出会う投稿に自分が以前書いたことのある内容のものがある。その時、大抵感じてしまうのは劣等感と嫉妬。「わたしも同じこと書いた、なんならもっと深いこと書いた。」と。なんて賎しいんだとその度に自問自答するのだけれど、もし考えたこと、発信したことが誰かと同じもしくはそれ以上に感じた時、誰がそのことについて触れるかで反応する人は変わってくることに気がついた。と同時に結局自分は何者でもないんだと自覚する

そこでだ。この劣等感の次を考えてみるといい。わたしは脳の作りがそうなっているのかなんなのか全くわからないが「次」や「裏」をすぐ思いつくのでポジティブだと言われているのかもしれない。

・何者でもない→何者にでもなるチャンスがある
・自分のやつの方があの人のより深かったのに需要量が違う→レベルは上でそれを証明していくだけ
・あの人は可愛くて有名だけどわたしは違う→あの人が持ってない可愛さばかりわたしは持っている

例としてはこんな感じ。わたしは他人と自分を比べて自分の方が上だと認識するようなひとは大嫌いだ。しかし、比べて勝手に自分を低い位置に置いてしまうくらいなら脳内変換してその人の隣で楽しくする方がましだ。


ここで、実際のわたしの変換履歴をほんの少しだけご紹介する。
・田舎に住んでいる→治安がいいし初体験の遊びや景色、気候があって面白い
・ニュアンスの違いをうまく説明出来ない→それほど複雑な日本語を毎日普通に使う日本に日本人として生まれてよかった
・日本の高校の教育方針を憎む時がある→そのおかげで今言葉や文化の面白さに気付き、価値観や感覚の違いを認識する力を得た

こんな感じ。
甘えと言われればそうかもしれない。ただこれはポジもネガもすべて勝手に思えることであって、努力を続けるためにもポジであるほどモチベーションが保てるのだ。

何者でもないわたしは何を言っても影響力を持たない。というか、「何者」 という枠にいれる必要はないと思っているので変換法で生きていく。

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