さくら

だから、別れの季節は嫌い

今は卒業シーズンでもなんでもない季節なのだけれど、
ずっと思っていたことを書いてみようと思う。

毎年三月になると「卒業式」「追いコン(追い出しコンサート)」といった別れを彩るイベントが開催される。
例によって私も今年の三月、所属する軽音サークルの追いコンに先輩方を追い出す側として参加し、
めちゃくちゃに泣いた。
悲しくて仕方がなかった。
今までのように気軽に会えなくなってしまうから……ではなく、
「きっと今が、この人とのピークなんだろうな」と感じてしまったからだ。

分かりやすく終わりが提示されると、私たちはいつも思い出作りに没頭する。
いつもは「今日暇?」と軽いノリでご飯に行くメンバーともきちんと計画をして旅行をしてみたり、
照れ臭くて面と向かっては言えないことを伝えるために手紙を書いてみたり、お世話になった人にプレゼントを贈ってみたり……。
これでもか! というくらい、いつかの思い出話のための準備をせっせと行う。
まるで、物語のクライマックスに向かうかのように。
「もうこれ以上はないよ」と言われているような気がして、
思い出作りは楽しい反面、悲しくなってしまう。

きっと、卒業したって、生活リズムが合わなくなったって、住む場所が離れてしまったって、
会いたい人にはお互いに会う気さえあれば会える。
悲しいのは会えないことじゃない。
わからなくなってしまうことだ。

新しい場所でお互いに知らない人と出会って影響を受け、少しずつ、だけどたしかに変わっていく。
次第に、自分の居場所が変わる。
あんなにたくさん遊んで、話して、楽しい日々を過ごした居心地の良い場所のはずなのに、違和感を覚えてしまう。
その瞬間が、怖い。

「久しぶりに会ったけど、変わらないね」なんてよく言うけれど、そんなこと有り得ないと思う。
人は変わる。
いつまでも変わらない関係を保つには、変わり続けないといけない。
いつまでも居心地の良い場所であって欲しいけれど、そのためには同じ場所に留まってはいけない。

「まだわからないけれど、でも、この人たちとこれ以上の思い出を作ることはもう出来ないのかもしれない」
そんなことを思いながら先輩たちの最後のライブを観ていると、涙が止まらなかった。
化粧はすっかり落ちて酷い顔だ。
涙で視界がぼやけて、ステージのライトがとてもキラキラしていた。
きれいだった。
先輩を思い出す時、きっと真っ先にこの瞬間が浮かぶのだろう。

———また半年後、私の嫌いな季節がやってくる。

***

•こちらはWeb天狼院書店の掲載記事です。

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