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勉強するのは、自分のためか、誰かのためか
私はこれまで、勉強とは “誰かのためにするもの” だと考えてきた。
しかし最近になって、勉強することは “自分のため” にもつながるのだということが、ようやくわかってきた(遅)。
だけど私の中ではやっぱり “誰かのために” が先に来ていて、誰かのためにしていた勉強が、結果的に “自分のため” にもつながるという順番になっている。
なのでここでするべきは、勉強することは誰かのためか、それとも自分のためかという議論なのではない。まず前提として、勉強することは誰かのためであり、自分のためでもある。
ここでするべき議論とは、そのどちらが先に来るのかということだ。
私には、自分が学ぶことで、その知識を活かして仕事をしたいという夢がある。その背景にあるのは、自分の知識をシェアすることが、きっと誰かを幸せすることにつながるだろうという理想の未来だ。
一方で、たとえばパイロットになりたい人がいるとする。その動機として想定されやすいのは、単純に飛行機が好きだとか、パイロットってかっこいいと思ったからだろう。
その場合、パイロットになるために勉強することはまず “自分のため” であって、自分がパイロットになることで搭乗客を遠くまで連れていけるという “誰かのために” は後に来る。
つまり勉強することの理由が “誰かのため” になるのか、それとも “自分のため” になるのかは、勉強したその先にある目標や結果を目指す「動機」によって決まってくるのだろうと思う。
単純に知的好奇心を満たすためだとか、勉強した先にある「自分の状態」を目指して勉強するならば、 “自分のため” に勉強することになるのだろうし、「自分以外の人や環境」に影響を与えるために勉強するならば、 “誰かのため” に勉強することになるだろう。
しかし冒頭に書いたように、勉強するのは自分のためか、誰かのためかというこの二者択一の問題は、そのどちらも切っても切り離せないものだ。
そこで考えられる効果的な方法としては、誰かのために勉強していて挫折しそうになったら、「これは自分のためにもなるんだ」と思うことで何だか乗り越えられそうだし、逆に自分のために勉強しているのであれば、「これは誰かのためにも活かせる力になるだろう」とイメージすることが、がんばる活力をもたらしてくれそうな気がする。
つまり、「誰かのためだ」「自分のためだ」とガッチリ規定せずに、柔軟な考え方をもって学んでいくといいのかもしれない。
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