「人生は、感謝がすべて」
私が大学院の院試を控えていた昨年の夏。ある人が送ってくれた言葉。
70歳にはとても見えない若々しさで、とってもパワフルでエネルギッシュで、いつも元気を与えてくれるユニークな先生が送ってくれた言葉だった。
私は気を抜くと、すぐに不満ばかりを抱いてしまう。
自分に対しても、周りの環境に対しても。
なんでこうじゃないんだ。なんで自分はこうなんだと、たやすく不満を見つけては、自ら怒りを喚起させる。
「感謝する」ことを、すぐに忘れてしまう。
暖かい湯船に浸かれること、住まいがあること、毎日ご飯を作ってくれる人がいること。
小さな幸せは、日常に無数に転がっていて、それら全てが「感謝」の対象であるはずなのに、そのほとんどに日々感謝することができていない。
“当たり前の幸せが、実は当たり前ではない” ということに気づくこと。
これほど難しいことが、他にあるだろうか。
私たちが感謝するのは、決まって記念日とか、節目にあたる時だ。たとえば、お墓参り、入学式、結婚式、結婚記念日、誕生日、成人式、金婚式…。
上記の言葉からイメージできるのは、みんな笑顔で、楽しそうな情景ばかり。もちろんお祝い事は盛大にやればいいし、全力で楽しむべきだ。
しかし考えてみれば、そういった節目や記念日があるからこそ、日々「感謝する」ことが疎かになってしまうのかもしれない。
うまくいかない時ほど、現状不満足になりやすい。不安だからこそ、むしろ「感謝ができない」思考に陥ってしまうこともある。
「だけどそんな時こそ、感謝するんだ」と、「感謝がきっとあなたの人生を創ってくれる」と。
先生が送ってくれた言葉には、そういうメッセージが含まれているような気がする。
もしも「これまで当たり前にあったもの」を失ったなら、人は嫌でも感謝したくなる。あるいは、それは感謝せざるを得ない状況なのかもしれない。
災害に遭ったとき、大切な人との別れがあったとき、困難な壁が立ちはだかったとき。何かを失ってはじめて、「これまで当たり前にあったもの」のありがたみに気づくことができ、自然と感謝の心が生まれる。
だけど平凡な日々にこそ、
変わらない日々が続いているはずなのに、なぜか新たな不満を見つけた時にこそ、感謝しよう。
「人生は、感謝がすべて」だから。
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