見出し画像

考えることこそが、生きることの至福

お久しぶりになってしまいました。

9月末に学会発表が終わってから、データの分析を進めたり中間報告のスライドを準備することに加え、土日はフルでバイトをしていたため、10月はnoteに気を留めることなく一瞬で過ぎてしまいました。

そして先週は、就職先の内定式や修論の中間報告会を無事に終えることができ、やっと一息つくことができた次第です。

今日は久々にゆっくりできるということで、昨晩はアラームをかけずに寝ると、しっかり12時間も寝ていました(笑)。

そして今はというと、なんと人生初の一人回転寿司に来ており、そこでこれを書いています(笑)。

回転寿司といえば、やはり子どもの頃にちょくちょく連れて行ってもらっていた思い出が多く、部活帰りのお腹がぺこぺこの状態で、お金を気にせずお寿司を目一杯食べていたあの頃がなつかしく、そして幸せだったなあと、大人になりかけている今となっては思います。

ーー話がそれてしまいましたが、今日のタイトルは、「考えることこそが生きることの至福」としました。

これは一般的にそうだというよりも、私の個人的な考えでしかないのですが、先程ふとそう思いました。

私は無趣味な人間で、どこかに遊びに行ったりとか、音楽を聴くことや、スポーツを観戦することとか、そういう一般的にほとんどの人が大好きなことに対して特段好きという感情がない人間なのですが、

ただ一つ言えることは、“考えること”はめちゃくちゃ好きなんですよね。

今もくら寿司に来て、一人でぼーっとお寿司を食べていたわけなのですが、

たぶん回転寿司に来たのが久々なのと、一人で来るのははじめてなので、こんなにじっくりとメニューを眺めたりしたことは今までになかったんですね。

それでメニューを何周もしながらいろいろと見ていると、びっくらポンはON/OFFの選択ができるようになっていたりだとか、逆にメニューにはびっくらポン付きのにぎり盛り合わせがあったりと、

いろいろお客さんのニーズに合ったカスタマイズができるようになっていたり、メニューがあったりして、こうやって上手くマーケティングしているんだなあと一人で感心していました。

そしてお寿司を食べ進めているうちに、やはりお腹がいっぱいになってきて、ふとデザートのページを見ると、「いや、デザートなら食べれそう。やっぱりデザートは別腹なんだなあ。」と思いました。

そこで、私の“気になったことはすぐに調べる”という癖が発動し、すぐに「デザート 別腹」とググってみました。

すると、

オレキシンが分泌されると、胃や腸の動きが活発になり、胃の内容物を十二指腸へと送り出すことで、胃に余裕ができてケーキなどを食べられるようになります。 この余裕が"別腹"の正体です。 甘いデザートに限らず、脳が「おいしい物」と認識すればオレキシンが分泌され、胃に余裕を作り出します。

というのが出てきました。

“デザートは別腹”というのはどうやら科学的にも本当の話で、脳内に「甘い物=おいしい」というのがインプットされていると、甘いデザートを見ただけで摂食中枢が刺激され、それによって胃に空きができるというメカニズムのようです。

ーーそんなこんなで、しょうもない私の日常のワンシーンをただつづらせていただきましたが、こうやって書いてみると、私ってなんか一人でも結構楽しそうなんですよね(笑)。

それってやはり、「考えている」ことが大きく関係しているような気がします。

そして考えることは、こうしたゆっくりとした時間のみならず、もちろん何かを学んでいる時とか、仕事をしている時とか、どんな時も人間が行う営みなのだと思います。

そう考えると、生きているだけで人は考えることができる。逆にいうと、生きているからこそ考える機会を得ることができている

大袈裟にいうと、なんだかそんな気がしてきました。

私は去年一昨年の2年間くらい、壮大な病み期に陥っていたことがあったのですが、その時に思ったのが、

生きることの意味
働くことの意味
勉強することの意味

この三つが全部わからない。そんな感覚でした。

今思えば相当重症なのですが(笑)、今ではこのそれぞれに対して、なんとなく自分の中で答えを持てているので、ご安心ください。

そして、考えることが好きな私にとっては、生きている限り、人は考える機会を得ることができる。この気づきを得られたことが、結構ハッピーだというか、考えることができることへの感謝を感じながら、日々を過ごせたらいいなあと思いました。

なんだか上手くまとめることができず長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

いつもお読みいただきありがとうございます。よろしければフォローやサポートもぜひお願いします😌💐