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「クソ」「クズ」「死ね」ひどい言葉について考える|映画『わたし達はおとな』

ちょっと前に、『わたし達はおとな』という映画を観た。


『そばかす』を観たくてキネカ大森に行ったら、この映画と2本立てになっていたので(知らなかった…)なんの前情報もなしに、急に観た。

嫌だなーーーーという気持ちになった。
リアルにありそうな、でも自分はしたくない感じの恋愛だった。


観てるとき、「え、直哉(主人公の彼氏)ひどくない??いや、違う??わからんからあとでFilmarksの感想読んで答え合わせしよ…」と思った。
(映画を観るといつも、映画レビューアプリ『Filmarks』で感想を書いたり読んだりしてる)

で、レビューをチェックしてみると…
まあ、直哉について「クソ」だの「クズ」だの酷評が多いこと多いこと!!

あ、この感覚間違ってなかったんだ…(それに気づかせない直哉にも、騙されやすい自分にもぞっとした)
と思ったところで、疑問が湧いた。


人のことを言い表すときに使われる「クズ」と「クソ」は、どっちのほうがひどい言葉なんだろう?


ここで言う「クズ」は漢字で書くと「屑」で
「紙クズ」「ゴミクズ」とか
“いらないもの”というニュアンスが含まれている。
一方、「クソ」は漢字で書くと「糞」で
つまり「うんち」のことだ。

「クズ」→「ゴミ」
「クソ」→「うんち」
と変換して考えてみると、「うんちみたいな奴」と言われるよりも、「ゴミみたいな奴」と言われる方がやだな、と思った。
うんちのほうが、まだ可愛げがある。💩


この問いを他の人にしてみたところ、
「『クソ』は『なにくそ!』というニュアンスで悔しがるときにも使えるからまだいいけど、『クズ』はもう『クズ』でしかないというか…それ以下がもうない感じがする」
という意見があった。
なるほど…。

個人の考え方にもよるだろうから、この問いの正しい答えはないのかもしれないけれど、
自分の意見としては「どちらかというと『クズ』のほうがひどい」というところに落ち着いた。


こうして、ひどい言葉について考えてみたけれど、自分は人のことを「クズ」とか「クソ」とか言いたくないし、あまり聞きたくない。

今までのいろんな人間関係の中で、
ひどい言葉を言われたり、言ってしまったり、嫌な思い出もあるけれど、
それでも他人や自分のことを
「クズ」とか「クソ」とかの一言では言い表したくないのだ。

「嫌な気持ちになることを言われた」とか
「ひどいと思った」とか
「悪いことをしてしまった」とか
ネガティブな感情は「嫌だ」とか「ひどい」とか「悪い」で表したい。

多分、「クズ」や「クソ」を使いたくない理由としては「すべてにおいてダメである」みたいな感じがするから、というのもあると思う。

すべてにおいてダメな人なんていない。
逆に、すべてにおいていい人もいない。

「あの発言は嫌だったけど、あれは嬉しかった」とか、「ああいうところは嫌いだけど、こういうところはいいところだと思う」みたいに思う。
いいと思ってる部分まで嫌いになりたくはないのだ。
だけど、嫌だという感情もちゃんと大事にしたい。

自分は怒るのが苦手で、
嫌だと思っても、いいように解釈しようとしてしまう節がある。
それは自分のいいところでもあるかもしれないけど、大切な人たちからは「嫌だと思ったことは嫌だって言っていいんだよ!」と言ってもらえることが多いので、自分の課題だと思っている。


ひどい言葉といえば、
自分が絶対に使わないようにしている言葉がある。
それは「死ね」だ。
(あーーここに書くのもものすごく嫌だけれど、違う言葉や伏せ字で誤魔化すのも本当の表現じゃないから、今だけ使います。嫌だ〜〜)

この言葉を簡単に使う人もいる。
怒りの感情が湧いたときに発する人もいる。

自分に向けられたものじゃなくても、この言葉を聞くと、めちゃくちゃ大ダメージを受ける。
というか、人が怒っているところを見るのが苦手だ。

でも、人の感情を否定したくない。
怒りの感情を吐き出すことですっきりすることもあるだろうし、一概にこの言葉が悪で、この言葉を使う人は最悪です!とは思えない。

でも、めっちゃやだ!!!


そういえば、小学生のころ、塾で自分の机にこの言葉を書かれたことがあった。
つまり、いじめを受けた。
(机は白っぽくて、でも鉛筆で全体がちょっと黒ずんでいて、消しゴムで文字が書かれていて、白く浮かび上がっていた)
書いた相手は、見当がついた。

それを見たとき、
「あ、わかった!それを見た自分が悲しんでる姿を見て喜びたいんだな」と思って、
ショックというより、これに気づいた自分は天才だな〜!と思ってた。(そう思うことでやり過ごした)
絶対に悲しい顔を見せてはいけない、と
なーーーんにも気づいていないふりをして、いつも通りに授業を受けたし、
このことは誰にも言わなかったと思う。

授業の後、いつもうちのことを気にかけてくれていた英語の先生がそれに気づいて、机の文字を慌てて消してくれていた。

わたしは大丈夫です!と思ったけど
ほんとうに嬉しかったな…。
先生のことを思い返すと、涙が出そうだ。


(あれ、なんか、こんな話をするつもりじゃなかったけどな。笑
もっと、映画の感想を書いたり、「『クズ』と『クソ』はどっちがひどいのか?」の議論(?)だけをする予定だったんだけど…。
まあ、思いもよらぬ方向に筆が進むのが、文章の楽しさということで。)


この塾での机のエピソードもそうだけど、
過去に傷ついたことを、自分で「傷ついた」と認めたくない。
どんなに嫌なことがあっても、自分は傷つかないから大丈夫!と思って生きてきたけど
それはポジティブなようで、「傷ついてなんかやんねぇから!!」的な負けず嫌いというか、
自分を誤魔化してきたんだと思う。
そうやって自分を守ってきたんだと思う。



嫌なことを嫌だ!と言えるようになるためには、「自分が何が嫌なのか、何をされたら傷つくのか」
にちゃんと気付けることが、まず最初の第一歩かなと思う。

負の感情はなるべく持ちたくないけれど、
「嫌だなー」と思うことを知ると
自分はそうしないようにしよう、とか、
じゃあ逆に何が好きなのか?とか、
自分の輪郭がはっきりとしてくると思う。

この映画も、好きにはなれなかったけれど
「嫌い」という感情に出会ったり
ひどい言葉について考えるきっかけになったので、そう思うと見れてよかったと思う。


「好き」という感情と同じように「嫌い」という感情も大切にしたい。

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