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アイドルが好きだなんて無駄だと思っていたのにアイドルにハマったら、諦めかけた人生をやり直したくなった

私には、好きなアイドルがいる。

20歳の頃、アイドルが好きだなんて無駄だと思っていた。だけど30歳の今、私はアイドルが好きで、人にも堂々と言う。


何かを好きになることって、楽しくて、幸せで、パワーがある。

思えば、私はずっと「好き」を中心に置いた価値観を持って生きてきた。「好き」を追いかけて挫折した私は、アイドルを好きになって、新しい「好き」の意味を見つけて、諦めかけた自分の人生をやり直したくなった。


アイドル好き=無駄だった20歳のわたし

学生の時、アイドルが好きで、そのためにアルバイトを頑張っている友達を見ながら、自分には関係のない、違う世界の話だなと思っていた。

「仕事を始めたら、アイドルを応援している暇なんてないのに、きっと好きじゃなくなるのに、なんで今時間やお金を使うんだろう?」
「将来何の役に立つんだろう?」


嫌味でもなんでもなく、純粋に、本気で、頭に疑問を浮かべていた。


大人になったら仕事をする。仕事が人生の大きな割合を占める。それなら好きなことを仕事にして充実させたい。それが人生の目的。

将来どんな仕事をするかを具体的に考えた時に、私が思い浮かべていたこと。好きなものがあるとして、それが目に見える形にならないと無駄だと思っていた。将来役に立つ、とか。だから私は「好きを仕事にする」という方法で形にすることを選んだ。


私にとっての「好き」は、その時に熱中していた”あること”だ。このnoteでは”あること”について具体的に書くことは避けるけれど、本当に好きで、熱中して、将来仕事で関わることが夢で、私の青春そのものだった。

子供の頃から、目標を立てて努力して達成していくことが何よりも大切だと思ってきた。結果が出た時の達成感。周りからも承認されて、自分も自分を承認できる。価値があると思える感覚。何よりも大切な私の価値観。その価値観を持った学生の頃の私は、とにかく「好きを仕事にする」ことが、次に絶対達成したい目標で、それに繋がりそうもないことに使う時間なんてないと思っていた。

当時の自分について、今思えば、なんて極端で視野の狭い考え方をしているんだろうと思う。何にそんなに囚われていたんだろうとも。

「好き」が仕事になった

希望の業界への就職。好きなものに仕事で関わることができるようになった。ここまでは思い通り。想定内。自分が達成したいと願った通りのことを叶えられた。

目標を立てて、努力して、進んでいく、達成する。何よりも大切にしていた私の価値観も守られて、更に強いものになった。

もちろん就職はゴールではないから、理想と現実のギャップに苦しむことはあった。けれど、好きなものを仕事にできたことで充足感はあったし、目標のために頑張っていた自分を肯定することもできた。私の努力は無駄じゃなかったと思えた。

「好き」から「嫌い」へ

何年か経って、好きで入った業界を離れることになった。

なぜ離れることになったのか。その事情については今は触れないけれど、好きだったものが嫌いになってしまった。こうやって切り離さなくても良かったのかもしれないけど、私は完全に切り離す方を選択した。

子供の頃から、目標を立てて努力して達成していくことが何よりも大切だと思ってきた。結果が出た時の達成感。周りからも承認されて、自分も自分をを承認できる感覚。何よりも大事な私の価値観。その価値観を持った20歳の私は、とにかく「好きを仕事にする」ことが、次に絶対達成したい目標で、それに繋がりそうもないことに使う時間なんてないと思っていた。

この価値観が、全部突き刺さってくる。このために無駄だと切り離した色んなものが、その時になって目についてくる。

ずっと好きだったものを失った喪失感。それと同時にやってくる、自分の大切にしてきた価値観が無意味になっていく感覚。目標を達成するために頑張っていた自分のことも全部否定したくなった。

思えば、私の「好き」って何だったんだろう?自分の価値観を守るために使われていたものなだけかもしれない。本当に好きだった?どんなところがどう好きだった?自己実現のための執着だったんじゃないだろうか?


例えば、子供の頃から洋服が好きでファッションデザイナーになりたいと思っていた人がいるとする。学生の頃からデザイナーになるためだけに一直線に勉強して、ファッション業界に就職してデザイナーになれた。だけど、会社の仕組みなどの事情で、デザイナーの職はおろかファッション業界からも離れることになった、ということを想像してもらえると近いかもしれない。


自分の真ん中にあって、自分を支えていたものが全部なくなった気分だった。

頑張っても意味がない。目標を叶えたって絶対幸せなわけじゃない。仕事以外何もない。その仕事も今はもうない。1点しか見てこなかったから、キャリアに潰しが効かない。自分は誰にも必要とされない。もう後がない。

負の感情でいっぱいになりながら、もうどこかの会社に雇ってもらえたらそれだけで何だっていいと思った。どう生きたいとか、どうなりたいとか、考えたくない。考えられない。


何とか転職先を見つけて、流されるように与えられた役割をこなしていく。評価されても何かが満たされないと感じながら、ただ感情を無にして働いていく。自分が理想としていた充実した人生とはかけ離れた状態に絶望しながら、でもまたがむしゃらに頑張れるとも思えなかった。「自分の人生なんてこんなものなんだろうな」と思った。

また「好き」を見つけた

そうやって無気力な日々を過ごしているうちに、コロナ禍になって、今でも好きなアイドルに出会った。K-POPアイドルのSEVENTEEN

見ていると何だか泣きそうになる。応援したくなる。感情移入してしまう。「何に」と明確に言葉にできないけれど、自分の心が反応している感覚。元々の「好き」とは質感の違う「好き」だった。

流されるように過ごす日々の中で見つけた希望。好きになったらとことんな性分も相まって、「沼にハマった」状態になるのにそう時間は掛からなかった。

彼らを追いかけることが何よりも楽しい。生活の中で、1番充実感を得られる時間。彼らのメッセージ性のある楽曲、パフォーマンスが大好きで、コンテンツを追いかけるのが楽しくて仕方なかった。

でもそれと同じくらい、彼らの夢が叶うことの一要因になれることが実感できることが、本当に嬉しかった。CDの売上枚数が伸びること、音楽番組で1位を取ること、音楽祭で表彰されること、コンサート会場が大きくなること…。私1人では微力だとしても、応援することは彼らのためになる。そのことを感謝してもらえる。必要としてもらえる。

依存

そうやって彼らを応援して深く知っていく中で、頑張っている姿を見ていると、自然と自分も頑張りたくなっていった。そうやってまた少しずつ自分と向き合っていくと気づく。


私の好きは「依存」なのかもしれない。

自分の世界と彼らの世界の境目がなくなっていた。これは悪い意味で。


夢中になれるものがある。家族以上の存在と思える特別な人、メンバーが何人もいる。いつも全力で努力していて、努力したいと思える仕事を持っている。評価されて、結果も出して、たくさんの人に愛されている。それでもまだまだと思える向上心がある。
目標を1つずつ叶えていく彼らは、私が失ったもの、欲しかったもの、諦めたもの。全て持っているように見えた
「応援している」と言いながら、努力して夢を叶えてキラキラしている彼らの人生に乗っかって、自分の人生の中で満たしたいものを彼らに満たしてもらっていた。自分は何もしていないのに、何かしている気になっていた。

自分の人生を生きたい

これに気づいてから、私の「好き」の感覚は明確に変わった。

「アイドルが好き」とひとことで言っても色んな形があると思う。どこが好きなのか、なぜ好きなのか、自分にとってどんな存在なのか…。人それぞれ違うし、違って当たり前で、正解もない。ここ書くのはあくまで私が過去の自分を振り返って思うことであって、この考え方を押し付けたり、誰かの「好き」の形を否定したりする意図はないことも添えておきたいと思う。

いつも彼らはファンの人生に並走してくれていて、寄り添ってくれていて、楽曲やパフォーマンスや、言葉でも、そういったメッセージをくれていた。だけど受け取る側の私の準備が出来ていなかったから、ただ寄りかかってしまった。

依存していた自分に気づいた時、「全然自分の人生を生きられてない」と絶望した。純粋に恥ずかしかった。死ぬまでこの自分でいるのは耐えられないと思った。

彼らの人生は彼らの人生。私の人生は私の人生。混同させてしまっていたけど、並走したい。私は私の人生で、自分の目標に向かってまた頑張りたい。何かに全力になりたい。やり直せるなら、またここからやり直したい。

「自分の人生なんてこんなものなんだろうな」と思いながら、全然諦めてなんかいなかった。もう手に入らないと思って諦めてものを、また手に入れるために本当は頑張りたかった。だから最初から彼らに惹かれたんだと、今振り返ってみると感じる。

ただ、好きだ、かっこいい、楽しい、だったパフォーマンスも受け取り方が変わってくる。最初からずっと大切なことを伝えてくれていた。私の「好き」は現実の辛さや虚しさ、足りないものを埋めるものから、自分の人生を後押ししてくれるものになった。

今の「好き」は、自分の価値観を守る、自己実現のための執着や依存ではない。彼らの活躍がどれだけ眩しくても、自分の人生からは目を逸らさない。

彼らを見つけて、好きになれたことは、私の人生を変えてくれたと思っている。きっとこの先の人生において良い変化が起こるたび、彼らを好きになったことを起点として思い出す。

好きなものがあって良かった。好きなものを好きだと言えて良かった。「好き」を追いかけて挫折した私は、アイドルを好きになって、新しい「好き」の意味を見つけた。私の「好き」は自分の人生を生きるためにある

私はアイドルが好き。この「好き」をこれからも力に変えていく。

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かつて人生の暗黒期でコーチングに出会い、"自分になる"を探求する旅を始めました🛳️いただいたサポートは自分らしい仕事や暮らしを実現するための活動に使用させていただきます。これからも私の等身大の旅を共有していきます✍️