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#56 神社で洗った500円の使い方。

こんにちは、まるもです。
みなさんは500円があったら、何に使いますか?

先日、鎌倉の銭洗弁財天 宇賀福神社に行きました。この神社でお金を洗うと、お金が増えるといわれています。
今回は、ここで洗ったお金を、わたしはどう使ったか?というお話✨

初めてのお金洗い

銭洗弁財天 宇賀福神社とは、源頼朝が文治元年に、夢で天下泰平のお告げを受けて建てたものです。洗うとお金が増えるというのは、民間信仰のようですね。あまりピンとこないものの、わたしは手元にあった500円玉を、ザルに入れて洗いました。令和元年の500円玉。狙ったわけではないですが、元年繋がりってなんだかいいじゃん…と思いながら、じゃばじゃば水をかけました。

お金の洗い方

洗った後、使ったザルを返却しにいくと、そこに張り紙がありました。
「洗ったお金は有意義な使い方をしましょう」

意義を決めるのはわたし

この張り紙をみて、確かにどんな使い方をするかは、自分次第だよな、と考えていました。また、有意義な使い方をしよう、とインプットされることで、お金の使い方というアウトプットが見直されてお金が増えるのか?と、もやもや考えていました。

このときのわたしは、洗った500円を何で使うか決めていませんでした。が、「有意義かどうかはわたしが決める」ということだけ、心に決めました。

使うチャンスが来た!

旅行から帰ってきて、この500円をもしかしたらずっと使わないのでは?と思っていた矢先。使うチャンスが訪れました!
お世話になった先輩が定年退職されるので、1人500円ずつ出し合ってプレゼントを買うことになったのです。
縁起の良いお金を、お世話になった人に使う。ここしかないだろ、というくらいピッタリの使い道でした。

お金はあくまでお金

お金を洗うことで執着も洗い流す?


さて、この経験から、お金の使い道を決めるということは、自分が何を大事にしているかを決めることだと感じました。わたしの場合、人との関わりで使いたい、ということがわかりました。うまく言えないですが…。
お金があると、ステータスになったり選択肢が増えたりします。そのため、お金自体が大切のように見えます。
わたしも500円玉を洗う直前は、ちょっとだけ(あぁー)とか(紙だとしわしわになっちゃうな)という気持ちが頭をよぎりました。しかし、洗ってみたら「これは金属だ」と感じたのです。

お金に意味を持たせるのは、あくまで自分自身。神社でお金を洗うことは、お金への執着を洗い流し、新たな意味づけをするきっかけになるのかもしれない。

そんなことを思いながら、先輩の新たな門出を心から祝福し、500円を使ったのでした。

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