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「ふつうじゃない」自分を許したかったから独立した。

「ふつうのひと」を一生懸命模倣して,
一生懸命擬態化して生きてきた。
「ふつうではない」私からしたら"にんげん"に似ているよく出来た「作品」だったと思う。



このnoteを書いた理由


2月に会社をやめて、独立をした。

正確には体調を崩して、会社に行こうとすると震えが止まらなくなってしまって嘔吐する日々が続いてしまったため、強制リタイアさせてもらった。わたしはとうとうわたしの理想の「ふつうの会社員」からかけ離れてしまった。

なので、俗に言うかっこいい独立なんかじゃ全くない。正直本当に「独立」なんてかっこいい言葉をわたしが使っていいのか今でも戸惑うこともある。でも、やさしい友達が一緒にご飯を食べたときに「独立おめでとう」と書いたプレートをサプライズで用意してくれた。

ここ最近はもう何年も身内以外に人と密に交流することも少なくなっていたので「プレート」というオシャレなものを用意してもらったことなんてなかった。そして何より彼女のその気持ちがとても嬉しくて、「独立した」と自信を持って言っていくことに決めた。

↑友達がサプライズで用意してくれたプレート。宝物


このnoteを書いたのは、改めて「おふろ」として生きていくための覚悟をみんなにきちんとシェアしておきかったし、記録に残しておきたかったから。そして生きていくためには、何よりも今後「お仕事」のオファーをいただくことが必要不可欠だからだ。

コネはない。人脈もない。なのに独立をした。見切り発車すぎた。

おふろとして5年間、ボロボロになった中古の自転車を全速力で一生懸命漕いできたとは思う。独立したのを機に、「ofuro_ver.02」という新規フォルダを作るときがそろそろきたのではないか。

今回は「ofuro_ver02」にアップデートするにあたって、一度心を丸裸にする必要があると思って、以下には少しばかり内容が重くなってしまうことを書いていく。元々自分のことを詳しく語ること(特に記録に残るもの)は得意じゃなく。いつも本当の自分を見られるのが怖いとビクビクしながら生きてきたので、心の中の全裸を見られることに耐性がない。

ただ今後アップデートしていくためには、本当は思い出したくないことであっても包み隠さず指の先から脚の先まで開放して自分のことを知ってもらった方が、何かにもしかしたら繋がっていくかもしれないという僅かな希望でこのnoteを今書いている。

それに、生半可な気持ちでこっちもやっていれば、本気で応援してもらえるわけがない。他にもしかしたら上手いやり方があるのかもしれないけれど、わたしは全裸になるぐらいでしか「本気」の伝え方がわからないので、良かったら最後まで付き合ってもらえたら嬉しいです。


わたしの「ふつう」が壊れた日


就活生の代だったとき、内定をもらった会社のアルバイトを任意という名の強制でやらなくてはいけなくて、元々どこでアルバイトをしても続かなかった(大ミスはもちろん、どこにいっても馴染めない)わたしの心は限界を迎えてしまい、爆発するかのように勢いよく粉々に飛び散ってしまった。
この研修だけがどうこうというより、もう「ふつう」に擬態化して生きていくことがこれ以上限界だった。

会社の研修で、更にレベルの高い「ふつう」を求められたことがキッカケでヒビだらけのわたしのこころは耐えられなくなってしまったのだと思う。小学生のときから、一生懸命「にんげんらしく」生きようと息を切らしながら終わりのないマラソンに必死で参加していた気分だった。

倒れてからは上からも下からも全ての水が出て、トイレに行くときには担いでもらえないと歩けないぐらいまで衰弱して、食べる気力もなかったので体重も一気に落ちてしまい、介護がないと生活がままならない程になってしまっていた。
当時家族との関係も特に良くなかったのも更に重なって家ではしょっちゅうパニックになって奇声を上げていた。吃音も悪化した。
"にんげん"にカテゴライズしていいのかというくらい、それはそれはドロドロな姿だった。バイオハザードに出て居たらゾンビだと勘違いされて間違いなく即射殺されていたと思う。

大学在学時月に1回のカウンセリングでそのことを相談すると、大学近くにある畑の中にポツンと立っている病院を薦められた。 
今思い返せば、その町の小さなお医者さんはADHDの薬に関してほとんど知識がなく、本来なら少量の服用から始めるADHDの薬を、なんとびっくり最初からマックスの量を私に処方した(わたしももっとその薬について事前に良く調べておくべきだったのに、当時はその気力さえなかった)

通常は少量から処方するのは、副作用が強い薬だからだ。(※個人差あり)
当時のわたしはそんなこととも知らず、「ふつうになるための最後の希望」だと思って最初からマックスの量を飲み続けた。

当時は「しんでもいいからふつうになりたい」という矛盾した思いが先行してしまい、衰弱していた身体がさらに弱っていった。家族から服用を止められても「これを飲まないと"ふつう"になれない」と振り切って、量を減らすことなく「ふつうになれる魔法の薬」を飲み続けた。(※本来正しい処方と診断をしてもらえていればここまでひどくなることはありません。怖がらせてしまったら御免ね。いまは病院も変わって適切な量を処方してもらっています)

良くも悪くもずっと「浮いてきた」人生だった。中学生のときのクラス新聞では「変人ランキング」で1番になった。(これは名誉だと思っている)私を変だと言いながらも笑って絡んでくれる人も居た。
決して悪いことばかりじゃなかった。
キャラクターとして受け入れてくれた人にも沢山出会った。

当時のわたしは自分のことでいっぱいいっぱいであまりにも不甲斐なく、"おふろ"になった瞬間から連絡先を一気にリセットしたりしてしまったので直接お礼を言うことがなかなかできないけれど、温かく接してくれた人には本当に今でも感謝している。迷惑をかけてしまった人には今でもとても謝りたい気持ちでいっぱいで、ふと瞬間に思い出して胸がキュッとなる。


ただ、一般的な「社会」という世界に近づけば近づく程、私の「個性」は静かに、ゆっくりと、確実に、本人でさえも気付けないくらいのやさしい圧力で、「社会」というマジョリティの世界に沈められていった。

いつの間にかわたしも必死で「ふつう」というものに擬態化できるようにならなければと必死になっていき、少しだけ「擬態化」することが上手くなって、悪目立ちしないようにする術も雀の涙程度だけれど身に着けることができるようになった。そんなことを続ける生活を送っていた ある日から「わたし」はいつの間にか心から留守にすることが多くなった。正確には、本来のわたしを心の中で口にガムテープを貼りつけ、手を縄で縛り部屋に監禁していたというほうに近かったと思う。


「わたし」は確かにずっと存在していたし、生きていた。物理的には。
でも心はもう壊死していた、腐敗臭すらあった。
当時は日々の「何気ない日常」という難易度の高いゲームをクリアすることに必死になりすぎて、まさか本来の自分が心の中で監禁されていただなんて、全く気が付くことができなかった。


初任給で買ったねむきゅん(元でんぱ組.inc)の衣装を着て、初めてポートレートを撮ってもらったとき。私の大学時代を救ってくれたのはでんぱ組だった。


就労移行支援時代のはなし


体調がよくなってきてからは放課後保育クラブ指導員としてもう一度就職したけれど、再び体調を崩し、2か月で退職。その後はリタリコワークスという就労移行支援事業所に約1年半通所した。


個性豊かな人が多く、そこの世界ではむしろそれが当たり前だったし、わたしは「ようやくわたしにとっての「ふつうの世界」に来れた」と安堵したのを覚えている。それぞれの特性を知り、わたしが特性的に苦手なことは得意な人が代わりにやってくれたり、逆もしかりだった。

みんなそれぞれの「地獄」を抱えていたこともそこでよく知ったし、誰かが泣いている光景やパニックになっている光景は日常茶飯事ではあったけれど、そこに冷たい視線はひとつもなかったと私は思っている。「にんげんだから悲しいことがあったら泣くのは当たり前だよね」、みんなそのくらいの認識だった。そこには年齢も男女も建前も必要がない。心地が良かった。邪魔者や厄介者扱いする人はそこには居なかった。浮くこともなかった、正しくは全員もれなく浮いていたのでプラマイゼロのような状態だった。


みんなで補い合って鼓舞しながら、わたしは障碍者雇用での就職活動に専念していた。(全ての事業所が雰囲気が良い訳ではなく、私が通っていたところはたまたまとても雰囲気が良くて、そこは運が良かったと思う)

体調と相談しながら1年半通所をして、無事に再就職。ただ、現実は法定雇用率を上げるために仕方なく障碍者雇用をしている企業がどうしても多く。入社前に特性や合理的配慮について伝え、それを許諾してもらった上で採用してもらったはずだったけれど、私の場合は自分の望んでいた合理的配慮を適切に受けられないパターンが重なり、1年も経たず再び体調を崩して辞めてしまった。

ADHDはここ最近理解も進み割とライトに語られることも多いけれど、数年前までの私にとっては、私を殺しにかかりたいんじゃないかと思うくらい、それはそれは憎いヤツだった。


私は小学生のときから、授業を聞けたことが一度もない。
当の本人はなんだかんだ真面目だったので、学校をサボったことはほとんどなく、大学も毎日真面目に行っていたし、成績もいつも良い点を取れるように割と努力していたほうだったと思う。
でも、授業が始まったと思ったら、次の瞬間には授業が終わっている。大げさに聞こえるかもしれないけれど、本当にそうだった。

初めて作った作品。当時は「作品」という認識がなかった。


ようやく見つけたわたしの「ふつう」


人の話を聞きたくても、視覚情報が頭の中をいっぱいにする。頭の中でテレビのチャンネルを複数つけながら授業を受けるような感覚だ。もちろん頭の中が煩すぎて、授業が頭にはいってこない。聴覚情報の処理や記憶、理解がとてつもなく苦手だった。人生を送るにおいて、人との「会話」からはどの世界にいっても逃げられない。おふろのお仕事のご依頼をいただくときに、なるべく文面でいただくようにしているのも、聴覚情報の聞き取りなどが苦手なのがとても大きい。

数多くのアルバイトをした、数多く転職を繰り返してきた。組織の一員になることで、勉強になったことも沢山あったし、良い出会いもあった。ただ残念ながら、組織では「わたし」を必要としてもらえるような存在になることができなかった。むしろいつも配慮やサポートをしてもらっていることが多く、社会のお荷物なんじゃないかと考えたこともある。

自分が何の役にも立てていない気がして、誰にも「いらない」と言われた気がして、それこそ昔は頭がおかしくなって支援員さんや親に「私のこと見えてますか?透明になってないませんか」とパニックになって本気で何度も聞いてしまったことがある。今思えばギャグみたいな質問だけれど、当時は本気だった。役に立たなすぎてほんとに誰にも見えていないんじゃないかと恐怖だった。それどころか、存在するだけで誰かに迷惑をかけているんじゃないか、傷つけているんじゃないかと一日中頭の中がそのことで無限ループで気が狂いそうだった。

だからこそ今のわたしにとって「おふろ」は、
ようやく見つけたわたしの「ふつう」だった。

フォロワーとの初共同作品。特定のツイートにいいねされた数だけ折り紙でハートを折って作品にしますというもの。この頃はお風呂以外の作品も創っていたりした。


わたしはもう透明人間じゃない。


SNSでいつも誰かがいいねやRT、コメントをしてくれる。ただのお遊びだったゲロみたいなものを、「アートだ」「作品だ」等と言ってくれる人がいる。グッズを買ってくれて、喜んでくれる人がいる。建前でもお世辞だとしても、どうでもいい。会社ではお荷物だったわたしに、ファンだと言ってくれるとてもおもしろくてクレイジーな人たちがいる。その人たちが居てくれる限り、もう私は透明人間じゃない。

ティッシュやチラシ配りのアルバイトをしているときだけは他の人の仕事を邪魔することもないし、私が変わっているからといってアルバイトで浮くこともない、人生の先輩のお姉様方はむしろ喜んでティッシュを受け取ってくれる。極端ではあるけれど、本当に私が人の役に立ててるなと感じるのはそんなときくらいだった。だからこそ、今「あなたが必要です」と言われ、お仕事の依頼をもらえたり、グッズを買ってもらえたり、いいねやRTしてもらえることは、言い尽くせないぐらい本当に幸せなんです。ありがとう。


周りに実際の生ゴミも置いたりした結果本当に臭いに耐えられず鼻を手でおさえているときの顔。
レタッチするときも臭いを思い出してしまって吐き気に耐えながら作業していた。


今後について

爆発して飛び散ってしまい粉々になったわたしの心の破片たちを、5年かけて拾い集めてきて、最近ようやく半分以上その破片たちを回収することができたと思う。

私よりももっと大変で過酷な過去を持ったひとたち、そして現在ももがき苦しんでいる人たちがたくさんいるんじゃないかと思う。
今これを読んでいるあなたがもしかしたらそうかもしれない。


私は基本的におふろを始めた当初も現在も、第1は自分を救うために作品を創り続けてきた。そして第2に、「私の人生にスポットライトは当てられなかった」「主役になれなかった」と感じる人の脳内を1mmでも代わりに表現できたらと思っていつも制作をしている。独立をしたし、今後はもっとこのことに関しても焦点を当てて活動していけたらと思っている。

そして独立ということはもちろん、撮影場所や小道具、カメラマンさんへのギャランティなど、作品創りの資金を全て自分だけの力で作っていくことになる。ホームがおふろだということには一生変わりがないけれど、今後はおふろ作品以外のお仕事にも、なるべく幅広くチャレンジしていこうと考えている。

おふろのアカウントのTLがガラッと180度変わることはないけれど、今後は作品以外のツイートが発信されることも増えていくかもしれない。作品だけ見たい人にとっては、少し煩わしくなってしまうはずなので正直離れていく人が増えてしまうのではないかという怖さがある。というかこのnoteを公開したことでみんなが離れていってしまうんじゃないかという恐怖すらある。

一応おふろ作品以外を載せていくアカウントを開設したのでなるべく作品以外はそっちを稼働させるようにするので、作品の中の人のおふろが、もう少し意思をもったバージョンになることをどうかお許しください。



まだフォロワーが全然居なかった頃にコラボの声をかけてくれたスピンズさん。
どうやって私のアカウントに辿り着いたのかが本当にナゾ..。
続けていたらもっと楽しいことあるのかなって思わせてくれた大きなターニングポイントでした。



お仕事のご依頼お待ちしています


今後おふろをアップデートしていくために、わたしの力だけでは到底アップデートをしていくことができません。浴室の中から出ずにほとんど過ごしてきたこともあってコネなどももちろんありません。

もし力を貸すよという方が居れば、ご連絡いただけたら嬉しいです。



私に出来ること、やりたいこと

・グラビア、被写体
・おふろの作品制作ディレクション(あなたのおふろ作品をプロデュース します。今後沢山創っていきたいので、もっとライトにみんなが依頼できるように、これに関してはまた別記事でアップしたいと考えています)
・作品の写真の提供
・文章を書くこと
・新たなグッズ発売
・音楽に携わること
・イラストに携わること
・メンタルヘルスや発達障害に関すること
…etc




今思いついたことを全てリストにしてみました。ここに載っていないものはNGという訳ではありません。表でも、裏方でも、どちらも大歓迎です。企業様はもちろん、個人の方からのご依頼リクエストもお受けしています。おふろに直接的には関係のないものでも構いません。(ここまで書いておきながら、特性的に苦手なことや体調の関係などで全てのオファーをお受けできるということはお約束できないのが申し訳ないのですが、まずは気軽にメールしてもらえれば嬉しいです)

出来ればなのですが、DMだと流れてしまう可能性があるので
xxxbathroom@gmail.com
こちらにメールいただけると嬉しいです。

今後は今まで応援してくれてきたみんなとも直接会える機会を作っていきていけるように動けたらと思っています。



最後に

長すぎるnoteを最後まで読んでくれたあなた、本当にありがとう。わたしはこれからも、絶望や不完全なにんげんらしさ、理不尽を全てやさしく抱きしめながら、そして時にはツバを吐きながらこれからも作品を創っていきます。そしてあなたの「ふつう」を守るために1mmでもわたしの作品が役立てていたら、ハッピーです。

"言葉にできない言葉をアートに。"


おふろ

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