見出し画像

わからないまま人に気持ちを伝えてみる

これは私が夫に言われて「はっ!」としたこと。結構前に、夫・ラッコさん🦦とちょっとした夫婦喧嘩?(とも言えない小さなこと)で言い合いしたとき、

「私、自分の気持ち落ち着かせたいからノートする!」と、言った私に

夫は「ノートじゃなくて俺に話してよ!」と言いました。

その時なんだか「はっ!」とした👀


私が今までノートをやる時って、自分がどうして怒ってるのか自分でわかってなかったり、気持ちを落ち着かせて客観的に観たいからという理由で、ノートに向かうことが多かった。

でも、夫にそう言われて、相手の立場に立ってみたとき、それがうまく言葉にならなくても、例えぶつけてしまったとしても、気持ちや想いを言ってもらえないのは、寂しいことなのかもしれないと、そんなことを感じた。


自分自身だけの、心のうちの事をノートに書いて客観的に観て整理することにノートはすごく活用できるし、私もノートを書くのはそもそもすごく好きです!

自分のうちに籠もれて、落ち着けるというか、とにかく書くという事も好き。


けど、対相手がいるとそれはまた話が別で、相手との関係に結論が出る前に、決断をしないといけないシーンもあれば、良かれと思ってしたことが裏目に出てしまうこともある。

けれど、例え想いや気持ちに整理が付かなかったり、自分でよくわかっていなくても、そのままを伝えたり表現してもらえるのって、なんだか信頼してもらっている気がして、そんな不完全なままでも気持ちを伝えていいんだって、思ったんだ。


そして意外と自分で理解してない、わからないまま伝えても、話したいるうちに自分が整理されたりもあるから、それも含めて「相手に気持ちを伝えてみる」というのはありなのかも。


私がノートに向かおうとしてたのは、きっと、感情的になってしまって相手を傷つける恐れを感じていたり、それ自体を自分で責めていたのかもしれない。

特に大切な人との関係は、傷つける・傷つくことがあってもいいから、それを含めたその先に関係を築いていけるようで在ろう👍❣️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?