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ネガティブな気持ちや失敗体験は誰かの勇気になる

今日は埼玉にある実家から書きます✍️
「書くことは真面目に」という意識を脱したいので、ソファにごろんとしながら書きます♪

こういうブログを書いていたり、発信していると良いことを書かないといけない・何か役に立つことを書かないといけない、という呪縛に囚われることってありませんか?

私はそれが、ずーっとありました。本当に長らくそう思っていた。

けれどネガティブなことを書いてもいいと聞いてから、ここ最近私の意識が変化して
「この人もこんな失敗があったり、悩んだり不安があったりするんだ」と知る事が、「なら私もそれでいいのかも?」と自分の勇気に変わっていることに気づいた。

それはきっと、悩んでいるのは私だけなのかもしれない…、と内に篭っていた意識が「私だけじゃないのかもしれない」と、気持ち的な孤独感が解けていくからだと思う。

“ネガティブなことを書くこと”は自分を許すこと。

この言葉を聞いたのは、私がとあるライティング講座を受講している時でした。

その時、その言葉の意味を全て理解できた感覚はなかったけど、何か大切なことが詰まっている気がして、書く事を続けていました。

「なんかただのネガティブな気持ちで終わってる気がする」「書きたい事はこれじゃない!」なんて、ここ数ヶ月そんな葛藤しながら(笑)

そうして自分で書いてみて、読んでみて…を繰り返して行く中で、ネガティブなことを書くことで自分に余白が生まれているのを感じたのだ!

下記記事の一部にも「”感じたことを書く”とはネガティブなことを書くことだと思っていた」ということについて書いてます(笑)

今まで人目を気にして、読んでもらえる文章にしなければ!と思っていたけれど、実は整理しながら書いた自分の文章にもたくさんヒントがあった。

そしてそんな文章を自分で読み返してみて、『で、私は結局どうしたいんだっけ?』と、自分に問うてる私がいたんですね。

今までネガティブなことだけしか書けないなんて思っていたけど、
書いたは書いた。そんな気持ちがあったのもわかった。

で、私はどうしたい?
何を次に望みたい✨?

↑ここ抜けてない?という事に気づいた(笑)

グルグルしている時はそこまで思えなかったけど、わからないながらネガティブなことを書いて見て、書く事で「次どうしたい?」を受け取る意識に繋がっていることを感じて

同時に、ネガティブな気持ちを自覚して余白があくことは、さらに次を受け取る事にも通ずるんだ!と今までわからなかった何かが腑に落ちました👍笑


そうしたら、”どうしてネガティブなことを書くことは自分を許すことになるのか”も理解できた。

それは自分の中に在る(気持ち)ものを、自覚して外にアウトプットすることで、自分を改めて観るためでもあると思いました。

自分のために自分に向けて書く

私が他者のネガティブが自分の勇気に変わる文章には、特徴があると思っています。

それは、書いた人が自分へ向けて書いている文章。

誰かじゃなくて、自分以外の他者ではなくて、自分の想いを自分に向けた意識で書いた文章でした。

そうなるときっと「綺麗な文章」ではなくて、もっと気持ちや情熱がこもった文章だと思う🌹

そしてそんな文章や内容のほうが巡り巡って人にも届くのだと思う😌そんなことを最近すごく感じています。

私もね、こんな事を書いて誰が読むんだろう?形にならないようなことを続けてて、意味があるなかな?なんて思ったり焦ったりしてる。

「やっぱりアメブロの方が書きやすいかな?」って、アメブロに浮気もしながら色々確かめたりしてる。笑


けれど、何もやらないよりもその先に失敗があってもいいから、「やってみる」ことをやってる。

それは失敗することよりも、何もやらないことの方が断然後悔も多いし、何も生まれないと痛いほどわかっているからです!

だからこんな風に今日もnoteを更新します🌸

私もまた自分のために書くことで、誰かの勇気になったら嬉しい。同時に私も勇気をもらって自分のために生きる意識をさらに持っていこっと!

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