見出し画像

引用ブログ『書くことって効能があるんですよ。自分にね!』もろほし ゆみこさん

珍しく最初に仕事の案内なんて掲載しちゃった。
なぜなら、ワタシはいま、猛烈に仕事がしたいのです。
仕事って言うのは、ワタシにとって、書くことを勧めるってこと。

もちろん、毎日noteだっていいし、人に向かって書くのは苦手だって方には、モーニング・ページのような毎朝書くっていうのもいいですよね。
ジャーナリングとかが好きなら、ネットで検索して好きなスタイルを書いてみるといいですよね。

でもね。

一番は、ライティング・ライフ・プロジェクトなんすよ。

創作能力が強めだったら、毎日誰かに向かって書くことって、楽しいだろうし、生きがいになると思います。
だけど、見えない相手に書き続けるってけっこうハードル高いんだよね。

誰も読んでないかもってことが、気楽だったはずなのに、真っ暗な海を漂ってるような孤独を感じちゃったりするものでさ。
それでいいって思えるときもあれば、こんな孤独に耐えられないって逃げ出したくなったりもする。
そんなの当たり前なのに、逃げちゃった自分から逃げるように、SNSから逃げたくなっちゃうっていう、SNSマジックがあるんだよねぇ。

だけど、ライティング・ライフ・プロジェクトはそんなのないの。

何を書いてもあり。それに1人じゃない。

大事なことだからもう一度書きます。

なにを書いてもあり。それに1人じゃない。

恥ずかしさも、
嫌われるかもっていう不安も、
文章が下手かもっていう悩みも、
伝わらないかもって寂しさも、
無反応も、なし。

逆に、
どこかへの誘導もないし、もしかしたら、癒しもないかもしれません。
わかりやすく救われたいとか、ちやほやして欲しいって人には、向いていないかもしれませんね❤︎ えへ。

実際ね、これはワタシじゃなく、あなただけじゃなく、

1人で書いていると、ちょっと迷子になるんですよ。

無意識に、自分を責めすぎたり、逆に庇い過ぎたり、自分を被害者にしすぎちゃったりする。
それってめっちゃ苦しいんだよね。そりゃ逃げ出したくなるし、消去して立ち去りたくなる。

ライティング・ライフ・プロジェクトではね、ファシリテーターが、その無意識にちょっと意識を寄せてくから、不思議とその無意識が意識に変わる。1人で書き続けていたら見えなかった場所に、気づいたら立っている。

引用ブログ
『書くことって効能があるんですよ。
自分にね!』
もろほし ゆみこさん


私も書くことを意識的に伝えてみて、改めて書くことへの効能を感じてもいるけれど、

同時に引用ブログにあるように、途端に孤独な気持ちになったり、まあそれでもやろう!と思える日もあれば「続けてて意味ある?!」なんて、ちょっとダークな自分のネガティブが出てくる時もある。全然、あるある。


そんな私が特にテーマを決めてるわけじゃないけど、なんとなくサクサク書けるのが「朝一に書くこと」。


これは、「書くことをとにかくしたい!」という欲求をとにかく感じてて、たまたま早起きした日に思い浮かんだnote。

これは「noteために早起きした」内容なのだけど、これを機に「朝、起きて書く記事」をテーマに書くことをやるって、なんか楽しいなと思い、それを今はアメブロの方でも続けてみようかな?と思ってるんだ✨


自分でもまだわかってはいないけど、朝一に書く記事は、なんとなくエッセイというか、ただ感じたことを書けるような気がしてる。

(イメージしてみて…)

『今日は朝から雨でなんだか寒いから、温かい紅茶を飲んでます。ちょっと寒い朝でもほっとした時間を作ってくれる。そんな紅茶が私はすごく好きです。』とか

『昨日は色々悩んでたら寝落ちしちゃって。でも朝起きたら自ずと答えが出てて、なんだか進めそう』とか

『今日は今からウォーキングに行きます!初夏に向けて気持ちが上向き!レッツゴー✨』とか


朝一で書く記事は、なんかこう感じたことをただ書けてて、きっと一日の中でする思考だったり、行動だったりをする前だからなのかな?


でもなんだか引用ブログを書いてみて、みんな書くことに対してモヤモヤしたり孤独を感じることがあるんだ。それって自然なことなのかな?と思たら

なんかそれも人間らしいというか、そう言う気持ちになることがあっても良くて、それでも大丈夫なんだな、となんだかそんな気持ちが自分に湧いたのでした。✨


書くことを意識的にやってみて、その時にはわからなかった楽しさや効能を感じてて、やっぱり何事も気軽にやってみるが、大切なんだね☺︎

この記事が参加している募集

最近の学び

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?