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矛盾があるから人間って愛おしいのかも

どれだけ時代が進んでも、なくならないものと思うもの。
うん万年先までかと言われたら、それは分からないので「すみません」ですが、、、少なくても私が100歳まで生きるとしたら、世界がどれだけ進んでも紙は生き残ると思う


いまや、小学生のころは紙でしか共有できなかったものがどんどん電子化している。

本は本屋さんで買うものだった。プリントはダウンロードして印刷するものではなく、誰かが配ってくれるものだった。

手紙を贈る喜び、待つ時間の恋しさ。冒頭は決まって「元気にしてる?私は元気だよ」の一言。今ごろは友達に届いているかなとドキドキしたり。書くのが楽しいのだけど、「待つ」時間が私たちの絆や思い出をより濃く、深く結びつけていく


そんな手紙は、いつの間にか、特別な日にしか書かないものになった。それは誕生日であったり、記念日であったり。



一言でいえば、世界の技術が進んだからだろうか。



いろんなものの電子化によって、世界はより軽く便利になった。重すぎる紙を持ち歩くこともないし、手紙はSNSを使って簡単に届く。思った時点で書いたことが瞬間移動して相手へ、しかも送料なんて気にしなくていい。たくさんのメリットが見つかったから、これからも電子化は進むだろう。


でもね、電子化がどれほど進んでも、全てが電子化になるなんてことはない。紙文化はなくならないよ?そう思うんです。

電子化に足枷をしているように聞こえるかもしれないけど、話を聞いてほしい。


電子書籍は世の中に浸透したけど、街を歩けば自分以外にも紙の本を読んでいる人はたくさんいる。ライブチケットも電子バージョンがあったりするけど、紙のチケットを大切に残す人は私だけじゃないはず。大好きなバンドマンが手書きで書いてくれたセットリスト、サインとか。

電子化が進んでから気づいた。
紙は想い出として手元に残しておきたくなるらしい。

だから、サブスクで音楽を聴けるようになった世の中でも、CDがなくならないのと同じように。どれだけ電子化が進んでも、便利になると分かっていても紙で残る部分ってあると思うんだ。


ちなみに、私は映画チケットまで残してしまっている。これに共感を求めるつもりはないけど、昔残してしまった故にいまも続けている。
映画のチケットを残すって、アリバイ作りの犯人かって思うのだけど(笑)


私の感覚になってしまうのだけど、紙ってなんだか魂があるみたいで捨てられない。要らなくなったプリントは悩む間もなく捨てれるのだけど、濃く深く残った想いが染みついたものは、捨てるのをためらってしまうってことないだろうか。

私は最近知ったんだけど、インスタのメッセージがインスタ側?で勝手に消されていた。気づいたら、去年のメッセージが全部消えてた。「しょうがないか」としか思わなかったけど、これがもし紙の手紙なら、ブチギレてたと思う。

文字に重さはないけど、それをなにかに乗せた途端、重さが発生する気がする。だから、紙にのったその文字の重さが、想い出としてより強く残こさせているのだろう。


世の中が便利になってほしいと願いながらも、少し便利でないものを愛してしまうのが、人間の矛盾なようで、そこも愛おしい。


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