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時間を共にしてぬくもりを灯された日

自傷もやめていけたら…そんな話になった

担任のK先生に「それ(自傷)以外の対処法は浮かばへんの?」と尋ねられた

「効率的やって思っちゃう。誰にも迷惑かけてないし自己完結してるやんって思っちゃう。それが依存なんやろうけど」と答えた

申し訳ないけどだめだった
どれだけ考えても自傷を超える対処法が思いつかなかった

K先生「自己完結してないやん。それを知ってて心配する人がいるんやから。心配を迷惑とは呼ばんと思うんかもしれんけど。手当だって自分でしてるわけじゃないし」


この手の質問をする度に先生から返ってくる「心配してる」はいつも語気が強まっていて、あぁ本当に心配かけてしまってるんだって深く反省する


私「だから、知ってる人がいる今はやめようとしてるやん。でもそれまでは違った。自分でやって終わりやん」

K先生「終わってないやん。続いてるやん。知ってる側としては痛くないのかなとかやっぱり心配なんよ」


手当をしないから終わってないと指摘される

先生の語気の強さは変わらない
先生の心配は痛いほど伝わってくるしそれを煩わしく思ったことは1度もない


決して心配が伝わってないから自傷が辞められないわけじゃないことは伝わってるのかな

そう、わかってないわけじゃない
いやむしろ痛いほどわかってる
それでも、(もしくはだから)してしまう
だって…

私「それでも人に当たったり物に当たるより良くない?よっぽど効率的やん」

K先生「効率的ではないやろ。人に当たったり物に当たるのと自分に当たるのが似たようなもんって感覚に持って行けたらいいけどなあ」

自分か他人かの差がとてつもなく大きくて、それ故にすり合わない感覚
どうしてこうも難しいのだろう
難しいから依存なのだろうとも思うけど(先生にも肯定された、これは依存)


K先生「やってしまう前にあかんと思ったら話に来てくれたらいい。他愛もない話とかで落ち着くなら話するし。不安で涙が止まらんくなったなら面談室に入ればいいし」

私「こうやって話するのも時間奪うって意味では迷惑かけてるやん」

K先生「迷惑じゃないよ」「誰かと時間を共有するっていうのを迷惑っていうのは違うんじゃない?必要やと思ったから一緒に過ごしてるわけで。言い方悪いかもしれんけどそれは迷惑とかじゃなくて仕事やん」

時間を共有する
その言葉に先生に話す時間を一方通行なものと捉え過ぎているんだとハッとした

K先生「先生たちでもあるよ。周りと方針が合わんかったら間違ってるのか先輩に聞いたりするし、そのままいつの間にか愚痴になってる時だってある。逆に後輩に聞かれることだってあるし」

大人、案外わたしと変わらないと思った
そういえば人の少なくなった夜の職員室で先生が先生に愚痴いいですかと言っていた記憶をぼんやりと思い出した
あの時も大人も案外変わらないなと思ったのに最近のわたしはすっかり忘れて自分の子どもっぽさに焦っていた


K先生「それに無理な時は無理ってはっきり言うよ。水和のこと信頼してるからそれはわかってくれると思ってるし。今日は時間があるからこうして話できるし、ない時はないって言うから。逆に水和もはっきり言ってくれたらいい。無理って先生が言ってもどうしてもしんどいって言ってくれたら先生はどうとでもするから」

その“どうとでも”させるのが迷惑かけてるやんって思ってしまうわたしはまだまだ歪んだ思考の持ち主なのかもしれない

K先生「水和は気使いすぎやねん、てか気が使えるんやろな」

自分をそんなに気使いができる人間とは思えなくて首を振ると「そうやって全部自分に向けちゃう」と軽く笑う先生

「大丈夫、大丈夫」「そんな気使うな」と言われて落ち着く

あったかい時間を終えて面談室を出る

「ありがとうございました」と言えばかる〜く「はーい」と言われる

その軽さで人を頼ってもいいのかもしれないな

そんなことをふわりと思った今日のこと

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