アンダンテで心療内科に行ってきた
2022.9.5(月)
初診
震える声で受付を済ます
初診ゆえに書かされた問診票
当てはまる症状に丸をつけられず固まる私
次第に息が荒くなった
両親に代わって付き添いをしてくださっている桜先生に「大丈夫?」と声をかけられる
看護師さんも桜先生も「当てはまることがなければ無理に書かなくていいのよ」と言ったけど逆
当てはまることばかり
でも自分の抱えるそれが当てはまっていると言っていいのかがわからない
自分の感覚に自信がない
えぇい!と勢いで適当に丸を付けて看護師さんに問診票を返却した
認知症なども診ている病院なので待合室では脳トレが流れている
淡々と頭で答えて気を紛らわす
「○○さーん、次ですのでこちらへ」
診察室の近くに案内される
通学リュックをギュッと抱きかかえ小さくなる私
手にはメモが入った推しのファイル。
診察メモは事前に担任の先生には見せていて、その時に「とても見やすい」そう言ってもらったからきっと大丈夫
「○○さんどうぞー」
呼ばれて桜先生と一緒に入る
椅子に座って俯く。動けなくなるこの感覚も悲しいことに慣れてしまった
なんとかメモを渡して少しするとお医者さんの淡々とした声が降ってきた
「こういう人結構いるんだよ」「でも治らないようなものじゃないから」
他にもこういう人がいるから私は辛くない?悩む筋合いがない?普通?こんなに苦しくても?
ゆっくり治していくような暇はないのになあ
「木描いてもらったけど自信がなさそうだから、もっと○○さんらしくのびのびできたらいいね」
綺麗事だよ。私らしくってそもそもなんだ。らしく生きてて上手くいくわけじゃないし
余裕のなさから優しいはずの言葉を全部マイナスに受け止めてしまう。声も冷たく感じてしまう
聞かれたことには何一つ答えられなかった
「お母さんどう思いますか」
桜先生にそんな声がかかって「私この子の学校の教員なんです。代わりに付き添ってるんです。そういう支援の者なので」桜先生がそう話していた
答える必要のあることは先生が代わりに答えてくださった
「初めてなので病名を付けることもなければ当然薬をいきなり処方するなんてこともない。ゆっくりやって行きましょう」
そして帰り際に言われた
「ただ、敢えて名前を付けるなら現時点で可能性としてあげられるのは選択性緘黙」
「メモに書いてるけどね、これは決してわがままじゃない。極めて心理的なもの」
そう言われた
あぁ、わがままじゃなかったのか
ホッとすればよいのか憤ればよいのか、はたまた取り乱せばよいのかよくわからずただ言葉をそのまま飲み込んだ
病院を終えて桜先生と学校に向かった
途中で言われた「お医者さんもいつかは治るし○○さんのせいじゃないって仰ってたしゆっくり焦らずやっていこうね」という言葉とアンダンテな足取り、生ぬるくゆるい風と晴天
あぁ、あの言葉たちはこう受け取るべきだったんだ
私は小さく頷いた
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