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まろやかな平凡、なのかもしれない⋯。(3/29〜4/5)


3月が4月になった。

3月の毎日投稿(笑)を体調不良により派手に頓挫させたことで、元旦から毎日書いていた日記をあっさり途絶えさせてしまった。
まぁいっか、これも人生⋯。

たった1週間と少しだけど、色んなことがあった。
以下、その後にあったことを思い出せるだけ。


3月29日(金)

世の中の(暦通りに戦う)社会人たちよ、一年間お疲れさま。
このタイミングあたりで誕生日を迎える人間って、祝われることに慣れてない。
そうだよな?えっわたしだけ?

だってそうだろう、幼少期から学生時代は組やクラスが変わる春休みのさ中だし、社会人になったら人事異動で最終出勤週に差し掛かってそれどころじゃない。
今の部署では誰も、わたしが今日誕生日を迎えたことを知らない。
異動に伴って花束やお菓子、お餞別で商品券を頂いた。いいお誕生日だ。新部署で使えそうないい感じのセットアップでも買うか。

この日、父から毎年届く取引先の人に送る文面のようなLINEが割と好き。父とはあまり仲は良くないけれど、嫌いではない。それを毎年実感する日でもある。
19歳で母と結婚した父にとって、この歳までフラフラしているわたしの存在はきっと理解可能な範疇の外にいると思う。
それでも、ただありのまま、温かく見守ってくれている。昔みたいに何かに耐え兼ねて感情を爆発させることもない。
なんだか少し切ないくらい、父は穏やかになった。

ともあれ、無事に歳が取れてよかった。
今年も、わたしを取り巻くすべてにありがとう。

3月30日(土)

わたしの誕生日は前座。
今日はわたしの大好きな人の誕生日。
まさかその翌日、あんなに元気な顔が見れるとは思いもよらず。

ところで今日、家にお花の贈りものが届いた。
わんだふるな色味のチューリップ。嬉しい!

わんだふる〜!

3月31日

わたしが青春を捧げた宝物が、ひとつの形を終えた。
SexyZone。唯一無二、完璧で究極のアイドル。

昨日3月30日は、元メンバーのマリウス葉さんの誕生日なのだ。今年もおめでとう、マリウス。

マリウスと出会ったとき、『天使って本当にいるんだ』と思った。
2011年。日本が元気を無くしていたあの頃、11歳でドイツから日本に移住したマリウス。その後わずか3ヶ月でSexyZoneとしてデビューするに至った。

わたしは彼の選択の全てに感謝しているし、
今はもうひとりの立派な大人として、その思想や在り方を心から敬愛している。
マリウスのいる世界はいつまでも美しい。

諸般の事情で『SexyZone』というグループ名を終わらせるにあたり、彼らは最後の配信LIVEを行っていた。
同時にグループ最年長、中島健人も卒業をする。
中島健人という存在がいたから、わたしはSexyZoneに出会えた。
ケンティもまたわたしにとって、恩人なのだ。

このあたりのことはまた別途、精一杯の𝓢𝓮𝔁𝔂 𝓽𝓱𝓪𝓷𝓴 𝔂𝓸𝓾…🥀と共に想いを認めたい。
この日、フリー配信のLIVEで映像出演したマリウスが実は来日していたゾ!というサプライズがあった。

ファンクラブ限定の配信に切り替わったあと現場に登場し、まるでまたグループに戻ったみたいに一緒にステージを楽しんで、お誕生日も祝われて、もぐもぐケーキを食べて、楽しそうに、本当に楽しそうに5人で笑っていた。
彼らってこういう、夢みたいな光景を平然と見せてくれるアイドルなのだ。

マリウスと出会ってから今までずっと、マリウスがマリウスとしてどれだけ世界に愛されているかを見届けるシーンを見せてもらえている。
ファンとして、こんなに幸せなことはない。
また遊ぼうな〜!

4月1日(月)

新部署に初出勤した。
配属先のチームはわたしを入れて4名しかいないのだけど、大元の組織は社内でもかなりデカイ。フロアも1番上の階になり、座席もフリーアドレスになった。今まで2階の小さな部屋にひきこもっていた身なので非常に心細い。

全体の朝礼での新任挨拶はないという話だったのに、あっさりと名前を呼ばれて腰が抜けるかと思った。
結局その後の部会でも喋らされクタクタになりながらも、退勤後頭をスッキリさせたく30分ほどかけて歩いて帰宅した。急に春めいていてよかった。

そして夜。
SexyZoneを全うした3人が、timeleszにかたちをかえた。
色々あると思うが、これも良かった。
ライブ当たるといいな。

4月2日(火)

新設されたばかりのチームに配属されたので当然のようにオリエンテーション的なものなく、なんだか前からそこにいた人のように働いている。
というか、教える側の人間がいない。わたしはわたしの持てるすべてのスキルを持って貢献する他ない。

ああ、なんか一応10年ちょっと社会人やってきたんだなぁ〜と実感した2日間だった。
ある程度のことはそれっぽくできる自分がちょっとウケた。お世話になっております〜!

4月3日(水)

3日目にして出勤時間に遅刻しそうになる。いつもの事だ。セルフ想定内。
慌てて同僚に連絡したら、「スーパーフレックスなんで何時でもいいですよ〜!」と返信がきた。雨だしのんびり来てくださいね〜、と。女神降臨?

ここら辺のことも初っ端よく確認していなかったけど、スーパーフレックスはコアタイムもないので事前の申請や報告は不要らしい。
以前の職種ではまず有り得ない。本当に同じ会社か?
色んな意味で“働き方”へのわだかまりがわたしのネックになっていることは、なんとなく人事担当者にも伝わっていたけど、まさかここまで緩和してもらえるとは思っていなかった。

夜は前の会社(出向先)の子とご飯を食べに行った。
大好きなお店で、いちご大福を食べたくて。
そしたら近所に住んでるマネージャーもきてくれて、なんだか3人家族みたいに食卓を囲んだ。
窓から夜桜が見えた。いい夜だった。

40代・30代・20代、そろい踏み

そのあと図々しくも前の職場に顔を出し、プリンをふたつ食べて帰った。ごめん、手ぶらで。ほんとごめん。
やっぱりあの場所と、そこに集う人みんなが好きだなと思った。

4月4日(木)

そういえば昨日、まだ年次の浅い同僚の子が
「2日も決まった時間に会社きたの久しぶりで⋯疲れちゃいました⋯。」と言ってクタクタになっていた。かなりかわいかった。

だってこの2日間、たった一人わたしの面倒を見ながら仕事をするために出社してくれたのだ。苦労をかけたね、ありがとう。
帰りにでっかいチョコレートをあげた。デカすぎてオロオロさせた。

文庫本サイズの板


自分より若い子は特にだけど、この世の誰も不要な苦労を強いられたりしない、そういう社会であってほしい。

先日のご飯会でも「碧色ってよく、『それって意味あるんですか?』って言うもんね。嫌な感じじゃないけど。」と言われた。
わたしってなんだかいつも、悪しき慣例や何となくの建前を無性に憎んでいる。
慣例と建前に先祖を殺されたのかもしれない。ありえない話では無い。

憎しみや怒りの原動力って火力は高いから大暴れできるけど、疲れる。
ほんとはもっと、のびのびとヘルシーにありたい。
きっとその方が存分に力を発揮できるから。

4月5日(金)

随分慣れてきたのでリモートに切りかえた。
普通に寝坊して始業しようと思っていた9:00に起きた。セルフ想定内。(2度目)

しかしリモートワークってあれだ。わたしはもうちょっと環境整えないとだめだ。初日、効率は最悪だった。
チームのみんなに「思った以上にドタバタしてごめん⋯」と詫びるほどドタバタした。リモートドタバタ⋯。

さらに来週、急遽東京に出張することとなりこの手配も大変だった。ほどほどのホテルがどこも空いてない。
前は部門にセクレタリーがいたので何も大変じゃなかった。これが自由の代償か⋯。

しかしそんな折、これまた前の会社の元アルバイトの子から連絡があった。
なんと出張のタイミングで、東京在住のその子と会えることになったぞ!うれしい!
この春大学を卒業し、新卒入社として今まさに新しい環境を生き抜いている彼女。
ほとんどもう母のような感覚。年の差13歳、生物学上産めなくもない。

そういえば先日、子どもの話も出た。
結婚はせずに家族を持つ選択をした人と色んな話をした。死ぬ時はニュージーランドの牧場がいいらしい。
子どもかぁ。まぁ、今がどうであれ未来のわたしの選択はわからないならなぁ。

たとえば結婚という形をとるとしたら、孤独を楽しむために、孤独を楽しみたい人と結託をするのはありだなと思っている。
しかし子どもっていうのはまさにその対極で、その子ども自身がそれを選択する日までは絶対に孤独にさせてはならない、そういう存在だと認識している。

わたしは子どもが好きだけど、それこそ姪っ子のためなら命も惜しくないくらい愛しているけど、きっとこの“愛”はある程度の距離感があって成り立つものなんだと思う。
だからやっぱりわたしにはとても縁遠いものに感じる。無責任に望むには歳をとりすぎた。少しだけ悲しい。

さて、わたしはどんな家族をつくるのか?
はたまたつくらないのか!
ひとつ歳をとった碧色に乞うご期待!


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